どうも×2♪無料性格診断のネットサーフィンも4回目となりましたが、まだまだ分からないことだらけの私です。
今回、診断させていただいたものは『5大性格診断』(無料)【設問形式:2択一/25問/所要時間:約3〜5分】
興味のある方は、自己分析のための一糧にしてみて下さいね♪
5大性格診断の結果
詳細は引用にて、
オープン:想像力と創造性が非常に豊富。数々の趣味があり、好奇心旺盛で新しいことに触れるのが好き。感性のままに美しいものに触れ、型破りなことをするのに興奮を覚える。
マイペース:することなす事すべてマイペース、考えてから行動することを好まず、よく周りから陽気で面白い人と言われる。何事も計画を作るのが嫌いで、よく竜頭蛇尾の様な行動を起こすことがある。
静か:慎重で、静かな空間が大好き、パーティーにいくよりも一人で好きなことをしていたほうがいい。よく人にシャイな印象を与えるが、時に傲慢な態度をとっているように見える時もある。
思いやり:人に対して優しく、思いやりがある。人助けが好きで、見返りなどを求めない。あなたが好きなのは人とコミニュケーションを取ったり、協力し合う事。
冷静沈着:情緒不安定になることが少なく、どんな時でも冷静を保っていられる。イライラする場面でも自分をうまくコントロールして荒々しい感情を抑えることが出来る。いかなる場所でも仕事場でも人より早く馴染むことが出来る。
ではでは、早速、自身にメスを入れていくかのぅ…。
オープン:好奇心旺盛、型破りに興奮?
そうですね。自身にとって面白いと感じる事や新たな視点の発見などに高揚する傾向がある事は否めません。そして、想像力と創造力以上に妄想力の方が上回る場合がある事が短所とも言えそうです。
ヽ(。ゝω・)ノあっはっはーw
また、物事に対して自信や能力が追い付いていない状態で先に身構えてしまうと墓穴を掘り続けてしまう事もあるため「感性が赴くまま」に捉えてみる事を肯定するということも必要だと痛感するものです。
それは、物事だけに留まらず人や言葉に対しても言えるでしょうか。
「感じるがままの感性」を疑念で濁してしまう事は、自らの「喜楽」を曇らせてしまうことなのかな?と感じるようにもなってきたものです。
例えば、
○○さんって、かわいいね。
このようなあり触れた発言に関して、お世辞であれ、本心であれ、必要以上に疑ってしまうことは『喜び』を曇らせてしまう。というような感じでしょうか。
そんな事ないよ。私なんて…(内心:嫌味で言っているのかな?)
このように根拠のないネガティブな思考に尾ひれを付け足していくとストレスを自ら増長させることに繋がりかねません。
やはり、褒め言葉に対しては妙に力を入れずに感謝の気持ちを伝えることトラブルが少なくて済みそうです。
相手の褒め言葉対して肯定的であることが心地いい?
褒める者の中には気さくに他者を褒めることができる者だけではなく、社交辞令であったり、見返り(下心)を有する者、気を遣ってくれている者など十人十色です。それらに関して良し悪しを指摘しない方が賢明ですよね。
例えば、「どうせ社交辞令でしょ?」、「下心が見え見え!」、「気遣い過ぎ!こっちまで気疲れしちゃうよ。」などと確信めいた事を指摘しても相手からすれば気まずいだけですからね。また、それが的外れだった場合は更なる関係悪化に繋がりかねませんので気を付ていたいところでもあります。
それは、結果として自身に対して気まずさを跳ね返しているようなものなのでしょう。
感謝を示されて不快になる人は少ない
「感謝」を示すことは、相手にとっては肯定的に受け取られたと感じやすいものですし、自身にとっては肯定的に返答できたという小さな成功体験にもなりそうですからね。
褒め言葉を鵜呑みにする必要はないですが揚げ足を取らずに、言われたことに対して単純に感謝を示すシンプルさ(単純性)は『喜楽』をより鮮明に感じさせてくれそうです。
特に何気ない普段のコミュニケーションにおいては、事実よりも双方にとってストレスが少ない解釈をできる方が楽しいですからね♪
褒めてくれてありがとうヽ(・ω・)ノ!あっはっはっー♪
なるべく、そう在れるのであれば感性のままに素直さや感謝を楽観的に示したいものですね。
マイペース:計画を立てるのが苦手?
竜頭蛇尾(初めがピークで尻つぼみな様?)。確かに計画は計画道理には進んでくれないものですし、自身のエネルギーも一定のペースで淡々と放出し続ける事ができるわけではありません。例えば、マラソンで「始め張り切ると後バテる」の様に自身を思うように扱えていない傾向は否めないかもしれませんね。
少しでも思うように扱えるようになるためには成功体験と失敗体験を通して慣れていく他ありませんからね。また、下手を嘆いても上手くなってくれるわけではないですからネガティブに捉えて頭を抱えてしまう必要はないのでしょうね。下手だから学ぶ事は自然です。
静か:シャイに思われる反面、傲慢に映る?
確かに、冷静きどりではあるのでしょう。勿論、それを落ち着いていると捉え方もいれば傲慢さに捉える方も居られるのだと実感しています。
例えば、怒っている相手に対して声を荒げることなくやり取りしていると、
冷静気取った態度が気にくわねぇ!
そうね。そう映るのも仕方ないよね。
(内心:怒った態度で反論しても気に入らないくせによく言うぜ…)
バカにしてんのか?
…。(内心:怒るエネルギーがしんどいから平常のトーンで話しているだけなのにトバッチリもいいところだよ。話を収めるための努力をするつもりがないのならスルーした方がいいのかな?)
このように、感情に余裕がなくなってしまっている視点から見る「感情に余裕がありそうな人」や「同じ土俵には上がろうとはしない人」は『傲慢』に映りやすいですよね。
個人的には、自身に感情の余裕がないからこそ上がりたくないのです。それに何を言っても相容れる気のない人にエネルギーを費やすならば、好きな事や好きな人に費やしたいじゃないですか。
イメージ的には、カヌーに乗りながら同じ方向にオールを漕ぐのと、各々反対方向に漕ぐようなそんな感じです。誰が反対方向に漕ぎ合うカヌーに好まない相手と乗っていたいと思うでしょうか。
過去の恋人ともボートやアヒルさんにすら乗ったことないのに…
青春してないのな。
そうね、青臭いのは私のオツムくらいだった…
思いやり:優しくて思いやりがあり、見返りを求めない?
見返りは必要に応じて求めます!(キッパリ)
そこはね、安請け合いばかりの「良い人」を背伸びして演じているとロクなことになりません。何事にも限界があります。
よく聞くアドバイスとして「NO!」と言える人でありなさい」というのがあるじゃないですか。やはり、抱えきれない範囲まで手を伸ばそうしていると折れてしまう事は珍しくないですよね。
ただ、見返りを踏みとどまる事も時に大事なのは確かです。
見返りを求めた行動はストレスを増長させ人間関係を破綻させる?
誰しもこのような経験があるのではないでしょうか?
・【労力が見返りの割に合わない】例:>好きな人に好かれるために無理をしていたのに思うような反応や評価を得られず相手と衝突した。
・【見返りに貪欲になる】例:見返りの多寡で相手を測るようになった。
傾向としては、見返りを求めていると「してあげたのに」、「返してくれる人じゃなきゃ嫌」等の理由から対人関係が歪になりやすいですよね。
やはり、「見返りに関わらず自らしたいからしている、そんな自分が好きだ、それが楽しい、それが嬉しい」といったような動機からコミュニケーションしている方が健全そうですよね。
その場合は、既に「楽しい」、「自分からやりたいことをできている」という形で満足感を得ていますからね。たとえ相手からの反応がイマイチでも得ているものがあるため見返りを求めている場合に比べて不快に感じにくいですよね。
極端なことを言えば、「好きなことをやって嫌われるなら仕方ないと納得しやすく、好かれようと無理したのに嫌われたなら根に持ってしまう」のような感じでしょうか。
また、相手には前者は「軽く、さっぱり」、後者は「重く、ねっとり」した印象に映るのではないでしょうか。
好かれようと自分の好意を押し売りながらその見返りを求める事は、「自分の都合や欲望を優先させるだけの私ですよー!」とアピールしているようなものと言えば引かれてしまうのも頷けますよね。
相手からすれば、そのような人が自分の事を尊重してくれるとは思いにくいですよね。
そのため、特にプライベートにおいては見返りを求めたくなるような無理は禁物です。
割に合わないと感じるから不服が募っていくんですよね。
そして、割を超えるものほど溺れやすいのでしょう。どうやらそんな傾向にありそうです。
感情を思うように扱うのは非常に困難ですよね。頭で分かってていても…
実際に見返りを求めないような状態で絡んでみることで相手の反応や自身の心境を考察してみるといいのかもしれませんね。
個人的には、確かに無理に気に入られようとしていないフランクでゆるい態度の方が相手からの反応もよく、自らにとっても快適さを感じやすいように感じます。
ただ、それも自分に興味を示してくれない人の方が多くて当たり前という事を前提に…ですかね。
気に入ってもらえたらヽ(・ω・)ノラッキーさ♪
冷静沈着:情緒不安定になりにくく荒々しい感情を抑える事が出来る?
むしろ、感情を抑え過ぎで抑うつ状態に陥っていたくらいなので抑え過ぎるというのも考えものだとは感じます。
「感情なんて消せたらいいのに」などのよくあるセリフを考えた事もありましたっけね。必要だから生まれつき備わっているのであろう機能に向かって何を思ってしまっていたのやら…ですね。
もしも感情が無ければ、ずっとドン底ですよ。浮くからなんとかアンバランスながらにでもバランスをとれるのでしょう。手に入れなれば上がりもせず下がりもしないなんて迷信ですよね。やがては、他の機能まで低下していくものですよ。
にっげろ~♪ヽ(・ω・)ノ逃
『怒り』に対して主観(偏見や思い込み)で増長させてしまっている部分を省いてみると、案外取るに足らない事でムキになっていることもありますもんね。
損切りしてでも土俵から降りた方が良かったことも多々あるものです。
思い返せば、損切りできない「引いたら負けのような勘違い」の意地みたいなものに固執し、身を切り、心を裂き、荒立てなくてもよかった感情ですらホイップクリームのように泡だててしまっていたような。
そして、感情を煽り煽られた結果、粘着性を増したという意味ではクリームの粘り気みたいなものかもしれないのだけれど、それは甘くもなく辛いだけだったな。ピリピリというよりはズキズキと舌ではなく胸を刺す痛みだっただろうか。
それらを経て不器用なりに少しは引いて観れるようになったのかな。と、都合の良いように解釈しておきましょうかね。
それでも尚、感情に振り回される日々です。時に、都合の良くない情報を遮断してストレスを減らす事も必要ですよね。
悪感情を煽られてしまう情報に対しての受け取り方によっては負の感情を煽られやすくなってしまいますし、感情に余裕が無くなると些細な事から怒りが発露しやすくなりますからね。
ストレス緩和のための文字化「下書き」
ある日、愚痴を下書きのまま寝落ちした事により気づいたストレス緩和の方法ではありますが、スマホのメモに小言を書くだけ書いて投稿せずに後で消すというストレス緩和法。
特に取るに足らないような事が原因の場合は、翌朝目が覚めた頃には、怒りは収まっています。
そして、血の気が下がった状態で目を通してみると客観視しやすくなります。
「あぁ、投稿しなくてよかったな。」、「相手に送らなくてよかったな。伝えていたらスッキリするどころかモメて自分が更にしんどくなっていただろうな。」など客観的に評価してから削除する。といった感じです。
些細なことが原因である怒りの場合は、血の気が下がると取るに足らない事に感じてしまう事も少なくはありません。
やはり、怒りが発露する事は止められそうにないですし我慢するとストレスは溜まり続けますのでね。
その置き場所および捨て場所として投げつける前に、まず「怒りの下書き」を流出しない文面で発散してから様子を見るというのも1つのやり過ごし方なのかな?と感じます。
第1の発散手段が他者や第三者へ矛先を向けるよりは、流出しない文面などである方が冷めた時に削除1つで済みますからね。
そういったように「下書き」ならではの特権として、いくらでも添削できるというメリットを利用してもいいじゃないですか。
その添削についても、頭の中でなくメモという外にある情報として客観的に行いやすいですからね。
そうできることがストレスに強い!という事ではないのですけれどね。
裏を返せば、そうする程にはストレスに弱いという事でもあります。既に強い人と比べても仕方ないですからね。比べるならば自らのビフォー(過去.今)、アフター(今.未来)の方が有意義ですからね。
冷静気取りやがって!
そうね。気取り切れてないから動揺で顔真っ赤になることも…。
そういう風に一歩引いて観察してみると自己のことも他者のことも見え方が変わってきたりもしますよね。
知った気にはなれるものの実は知らない自分の取り扱い方。その足しになればと診断を活用しているわけですが、頭で傾向を理解しても感情を思うように扱えるわけでないという壁を感じます♪
(・ω・)ノ 知ることと扱うことは、インプットとアウトプットの違いなのかな♪
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