ある日、相も変わらずの軽口を奏でながら小言に付き合っていた時の事、
好きな人とも気さくに話せるような関係が良かったなぁ…。
グサリ…(刺)
それはもう、気さくに絡めない相手の方がトータル的に好意を持てると白状されているようなものだからコチラには御世辞どころかトゲだよね?w(刺さってますよ?右腕の端くらいにはw言葉のトゲを刺し合っているのはお互い様でそれがなんだか面白いのだけれども♪こちらが刺してる方が多いけど…)
まぁね、そもそも眼中にないから何でも打ち明けれるのではないかな?
聞こえ悪く言ってしまえば、道端に転がる石ころのように意識してない故の気楽さなのでは?(きっと私の事では悩まないでしょうし、悩んで欲しくもないよね。他人の不幸なんて重いだけなんだもの。むしろ幸せになって恩恵を下さいよ。ってねw)
『好意』を持っていると「嫌われたくない」とか「愛されたい」の感情から何でもは言えなくなってしまうものだよね。それでも素直に言い合える仲でありたいという理想もまた、それが現実的ではないからこその無いものねだりの憧れとしてあるのでしょ?
つまりは、そういう事なんだとは思うよ♪
会話だって、その時の「聞いて欲しいことが聞かれる」事に意味を感じているのでしょう。悩みに対する答えは欲しいけれど、答えが無い事を知っている。自分にとっての正解には気づいていても実行するだけの力量がない事を知っている。悩みの元凶を直接変えたいものの変えられない事を気づいている。
だからこそ、誰かに話すことで軽くしたい。重荷を置く場所が欲しい。私のところに転がり込む有り触れた悩み事の小言の持ち主は、そういう傾向にあるらしい。
どうすればいいって?
まぁ、神じゃないから解決してあげられないよぉ。精々、天使かなw
いや、悪魔でしょw
だめじゃんw悪魔に相談しちゃw
そんな有り触れたボケのやり取りができる余裕があるだけ良かったかな。そんな余裕すら無くなってしまう前に問題解決の糸口を掴んで欲しいものです。
結局、自身で学んだ事しか実行できないのよ。頭でわかっててもそれを使いこなせる力が無い間は実行には起こせず、むしろ衝動に負けやすい傾向にあるとさえ感じるよ。
泥沼になる前に釘は刺したのよ?
車が急には止められないように、人の衝動も止める事は困難この上ない。私が何を言おうが、その通りに動けるわけではない。その上、助言したことが正しいとは限らないのだから最終的には自身で決めるしかないものなのよ。(ありふれた事を言うけれど)
無論、他者の言う事を鵜呑みにして依存してしまう事もよろしくはない。だから、私のいう事は鵜呑みにしてくれなくていいのよ。きっと、不利益を被った時その他者は責任を取ってはくれないんだから。(私の手にも負えはしない)
自身の成功体験と失敗体験によって手探りで自分なりに少しずつ学ぶ他ないのよ♪
そんなありふれた相談、ありふれた悩み、ありふれた対応、ありふれた感想、それもいつかは有り触れなくなる日が来るのだと思うと何だか切ないものだね♪
時を重ねていくと在ったものが無くなっていく。当たり前になっていたものが全て当たり前ではないものへ戻っていくんだもの。当たり前を軽視するものではないね♪ありふれている内に当たり前とやらに感謝しておきたいものです♪
楽しい会話を(人”▽`)ありがとう♪と言ってしまうと悩んでいる相手に対しては不謹慎かもしれないのだけれども、それでもそう感じるままに表記しておこうかな。
決して、悩む姿が楽しかったわけではないよ?久しぶりに冗談交じりに沢山笑えた自分がいたから私にとっては良かったのよ。ありがとう。と。
悩みの安請け合いをしないようには心がけるけれどもね♪
[完]