歳を取るほど丸くなる?頑固になる?という風説(噂)をちらほらと耳にしているうちに「鉛筆」のようだ!と綴りたくなったことをツラツラと。。。
年齢を重ねると人は丸みを帯びるのか
帯びます!というよりは、帯びる機会が増えます^^
というのが丁度いいニュアンスである。
その理由として、年を重ねる事により
・感性や価値観が広がる
・自身の都合だけではなく他者の都合との関わりが増える
・気力や体力が衰えていく
・挫折や無力感に苛まれる
など、の機会を得やすくなっていく事が挙げられる。
つまりは「何かしらの階段を昇り降りしたり」「何らか壁にぶち当たったり」という度に丸みを帯びる機会を得ているという事だ。
それが鉛筆のようだというのは見出しの通り。
その先端をツンツンに尖らせていても紙(壁)に触れるたびに丸みを帯びていく。
あるいは文字を書くという経験を重ねて丸みを帯びると言えば、学習を重ねて感性や価値観広がった結果として丸みを帯びたという事にもしっくりとくる比喩かもしれない。
ただ、「帯びます」ではなく「帯びる機会を得ている」である。
中には尖っていく人も一定数いるものだ。
例えば、
・斜に構え続けている
・何かに特化している
等の場合は、むしろさらに尖る事もあるようにも思う。
鉛筆もまた一方向から使ったり、斜めに向けて使用すると尖りやすくなるものだ。
また芯と似たように時を経ていく中で「折れる」という事もあるものだ。
人生全勝!悔いなし!文句なし!という人は稀なのだろう。
鉛筆のように芯が一本通ってりゃ折れても削ってまた描き出す事もできるように
”信”を持って時を削って磨く事でまた歩めるものかもしれない。
それが別の道であったとしても作れる道を見つけられるのなら素晴らしい事である。
余談までに幼少期から慣れ親しんだ鉛筆はHB鉛筆!その1ダースのプラスチックケースごと筆箱代わりに使ってい事を思い返すと何とも感慨深い。
人は老いると頑固になるのか
お察しの通り、こちらでも頑固になる機会を得ているというクドい使いまわしの言い方をします。
新しい事を学ぶという事は、それ相応のエネルギーが必要である。
それはもう新しい芯を削り出すために鉛筆削り機を回すが如く。(?)
下手な例え置いて、実際に自身が全く知らない分野の参考書を片手に、それを身に付けるくらいの労力を想像すると痛感できるのではなかろうか。
それを体力や気力が若い頃より衰えてしまっている人に当てはめると「変化」という事へのハードルも上がっているのも納得である。
長年使い込んだ鉛筆は短くなり、それで書く労力と適度な長さの鉛筆で書く労力には差があるというようなものだ。
さらに、それに加えて長い時間をかけて強化された習慣や価値観あるいは経験則というものの存在も大きい。
長い間、同じ型・同じ硬さの鉛筆を使い込んでいるとまるで手の一部かのように振舞えても、馴染みの浅い鉛筆だと思うようには書きにくいという事に近しいかもしれない。
鉛筆比喩から離れて例えると、
信号を明日から赤は渡って良し、青は止まれにしますよ?と言われたとしたら
変更を聞かされていても翌日、事故が多発するのではなかろうか。
それくらい慣れ染み付いたからの変化というのは容易ではないという事である。
もしも、年を重ねても同じ習慣や同じ価値観ばかりに身を置かず、運動などよって気力や体力も持ち合わせているならば「頑固」になり得ないかもしれない。
が、
そのような人は多くはない事は「年をとると頑固になる」という風説が流れるという自体がそれを物語っているように感じなくもない。
つまりは「頑固」になりやすい環境・境遇に身を置きやすいという事なのだろう。
何故、老いると頑固という事に良いイメージが付きにくいのか
それは頑固さに対峙した側の都合の良し悪しが反映されているからではなかろうか。
もしも、対峙し得ないような「頑なに肯定される場合」であれば心強くもありそうである。
頑固なまでに鉛筆の後ろにくっついてくれている消しゴムが心強く感じるといったところだろうか、不頑固でポロリと取れてしまった時の虚しさは経験した人しか味わえないものだ。
最後に余談※頑固の反対は不頑固ではありません。というより勝手な造語です。
頑固の対義語は柔軟であるという説もありますが「柔い」や「軟」という意味には適応性が低く脆いいう意味合いがあるのに対し、「柔軟」の意味合いは適応性がありしなやかであること事からもやや疑問を感じるところである。
例えば、
頑固な人VS柔軟な人
と言われると、対義語としてしっくり来ますが、
頑固汚れVS柔軟汚れ
と表記されると
・頑固汚れ:拭いても拭いてもこびり付きが落ちなさそう
・柔軟汚れ:拭けば拭くほど伸びて広がっていきそう
どちらも手強そうであるし、しっくりこない。
むしろ柔軟の対義語は「強固」「強硬」あたりではなかろうか…とも思わなくもない。
結局のところ言葉は意味が伝わればいいので、絶対こうでなければいけないという事はないというところが面白さを感じれるところなのでむしろ歓迎ではありますが日本語って難しい…という余談でした。