妥協した恋愛の損得感

妥協した恋愛の一説

少なくとも妥協してお付き合いすると付き合って以降、そうでない場合より「揺らぎやすい」傾向が高いように感じなくもない。

妥協で恋愛するなんて、相手に失礼だろう!

(相手が真剣ならば尚更!相手は真剣なのか相手も妥協なのかは判断が難しいところ…人は自分を良く見せようとしてしまう事もあるだけに)

という葛藤が無いわけでもない。

が、孤独感に苛まれたり、異性に飢えるということは無くもない。

人間そんなに綺麗じゃない、美談で語れる動機の恋愛なんて早々ない。

むしろ褒められたものじゃない本能的な衝動的さなのかもしれない。

美談でもなければ美男でもなければ美人でもない。

だから美化したいという欲求があるのだろう。

既に美しければ、美化する必要がないものね。

さて、話を戻すと…

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妥協の恋愛後、新たな異性と良い感じになる事もなくはない。

何故良いなと感じる人が現れたのか?

それは現パートナーを妥協した事によって比較してしまうからではなかろうか。

現パートナーが最高!この人より上はいないね!満足だ!むしろ捨てられるのが怖いくらいだ!

と感じているならば、他の人が良く見える事も減る事だろう。

最初は一目惚れであっても嫌なところが見えてきて妥協に変わっていくと揺らぎやすくなるのもそれと似たようなものだろうか。

だから、浮ついて良いでしょ!

という理由にはならないし、浮つけば信用を失うわけだ。

無論、現パートナーからの信用だけでなく、冷静な視点から見れる第三者であっても信用しなくなるだろう。

私!俺!乗り換えたんだよね!

なんて事を自慢気に言う人がいたとしたら

あぁ…この人はまた自分の都合が悪くなれば、きっと乗り換えると言う事を今公言して自白してらっしゃるんだな…

と思う事だろう。

略奪愛に燃える!なんて事もあるらしいが、
略奪してなびく人間は恐らくまた略奪によって遠のくだろう。

自分だけが特別枠なんて事は…滅多にあるものじゃない。

幻滅するような現実的な事を言えば、

デートの手段、口説き文句、誘惑文句、それらは、概ね使い回されているのと同じ事だ。

恋愛のテクニックが上達する事はあっても、そうそう手段は変わらない。

夜景を見に行こうと誘う人は、他の人も夜景に行こうと誘うだろう。

高級レストランに誘う人は、他の人も高級レストランに誘うだろう。

プレゼントをする人は、似たようなプレゼントを他の人にも贈ってきただろう。

また、誘い文句も何度と使いふりされたフリーズだろう。

同じ失敗をするのは学習しないからだ!

なんてセリフを何処かで聞いたような気がするけれど、

揚げ足をとるなら学習してるから同じ手口を繰り返すのだ。

そして、同じ失敗をするのは学習をしないからではない。

恐らく学習するまでに時間がかかるからだと言う方が近しかろう。

記憶なんて繰り返さなきゃ忘れていくのだから…

そこから逆算していくと、

定着している→繰り返してやってきた

自然な流れで誘える方がスマートなのだけれど、慣れていなければ出来ない芸当である。

それだけ学習(強化)したという事を思うと…
若干引いてしまうまのがあるかもしれない。

少なくとも「今まで同じことしてきてるんだよね」とカミングアウトされても反応に困るだろう。

そう思うと察せれない、または察しようとせず有耶無耶にしている方が楽しめるものかもしれない。

概ね略奪する側に走った人間は、自分が略奪される事を察していない。

「自分の方が上だっただけ、自分は大丈夫」と思いがちではなかろうか。

それを「傲慢」と呼ぶのだろうか…

自分に自信がある事と、傲慢は違う。

自分に自信を持ちながら謙虚さを兼ね備えているようなスーパーヒューマンがいるもんだ。

そんなスーパーの付かないヒューマンが自分がNO.1だ!自分が中心だ!と思ったところで錯覚に過ぎない。

無論、自己嫌悪を抱き過ぎるより自分を愛せる方がいいとも思うのだけれど…

陶酔しても得るものって失態くらいかなと思うと…辛いものがある。

何が辛いってスーパーの付かないヒューマンだから…自己陶酔したら頭打つ事を分かっていても頭ぶつけに行ってしまう事があるだけに

ホント、火に飛び込む蛾のような一面が人間にもあるものだ。

万人が万人そうなわけもないけれど、少なくとも何かの力を得た気分になったら気が大きくなってしまうであろう身としてはグサリと刺さるものがある。

例えて言うなら、短期間に大金を手にすると破産する!と言われたりするようなものだろうか。

大金を堅実に使いこなすのが先か、
振り回され酔い潰れるのが先か…

…。

妥協するにしても妥協しないしても感情に振り回されて酔い潰れているような身としては…

…。

話の終わりが見えない小言に無理やり結!

無理やり結!これも1つの妥協だろうか。

(それとも賢明な判断だろうか)

さてさて、結論だけを平たく言えば…

”妥協する事で納得したように見えて今後の不満の積立て貯金を始めたようなもの”

とは言うものの、妥協したつもりが結果的に、または、経過的に良かったなと思えるような尻上がりな人間関係だってあるのだから一概には言い切れない事だけは補足しておきたい。

”あくまで妥協によって、より良く見えてしまうものが増えてしまう傾向にあるのでは”というお話である。

それが良いのか悪いのかはわからないけれど、早計に妥協した結果、違う道を選べば良かったなんて事は…それなりにそれなりにある事なのだろう。

苦し紛れに明るく捉えると、妥協もできないより妥協できるだけ恵まれている。

妥協できない事と妥当できる事と妥当しない事はそれぞれ異なるものだものね。

案外、妥当するの対義語も妥当しないの対義語も”賢明”なのかもしれない。

そして別に恋愛だけに当てはまるものでも恐らくない。