一人が好き!?故のジレンマ
一見孤独好きなようで、実際のところ完全な孤独など御免被りたいという人もそれなりにはいそうではある。
強がりとでも言おうか、はたまた無知故の選択幅の狭さとだろうか
それとも単純に素直でないだけであろうか。
解釈の仕方も理屈の後付けも何とでも言えるものだけに真実など分からないのだけれど、素直な気持ちを打ち明けて振り返ってみると「孤独は御免被りたい」である。
人の悩み事のほとんどは人間関係という説もあるくらいだ。もちろん技術や才能、健康や出自などなど他にもいろいろあるとは思うが、人間関係におけるジレンマも多いのは確かだと思う。
大まかに例えると
幼い頃、交友関係上の集団への失望
↓
孤立化
↓
一人である事正当化しようとする
↓
素直になれなくなる
よくある話。
なりたくもない境遇をなってしまったが故に正当化しようとしてしまうという失敗。
孤独になりたかったわけではないけれど、素直になれなくなった故に平気なふりをし続けるという失敗。
そして周りからも一人で平気な存在として扱われる自業自得な失敗。
弱さを切り捨てたように振舞えば強くなったと思う勘違い。
一人でいけると強がった故の現実との格差。
ただ失敗の一例であって、中には本当に孤独で楽しんで過ごせる人も中に入るのかもしれないだけに善悪を決めたいとも思わない。
ただただ自分にとってより良い環境は、自身にとって程良い範囲の人間関係である事には違いなさそうだ。
完全な孤独というものは知らない。他人と会話をしたこともなく、接したこともなく、情報さえ知らないような根っからの孤独は私にはイメージが出来ない。
初めから無ければそれが当たり前として慣れるのかもしれないなんて意見は経験した事がない故の虚妄なのだろうな。
ここで語りたいのは、孤立化でもなければ、本当の孤独でもなければ、自身の黒歴史でもない。
それによって引き起った「自身との相違」である。
つまりは、自然体な自分と無理している自分の格差。
簡単に言えば自己矛盾(最も矛盾しているのは理由はどうあれ自分で選択しておいて差異にジレンマを抱えていることだろうに!と思わなくもない)
人の汚さを知った故に、そんな集団ならば抜けよう。というのが発端だったろうか?
人がそれなりに好きだったし、正義感やルールを守る委員長みたいな、そんな真面目さの反動だろうか?
大人の言う建前だけを鵜呑みにしてしまった失敗だろうか。
確かに倫理的に難しいとは思う。子供に対し汚い部分を見せたくないというのは必然かもしれないが。
人を美化しているというか、失敗や不完全なものはダメみたいな偏った解釈が生まれやすいような気はしなくはない。
例え教えられなくても自身で学んでいく事が自然なのかもしれないが、上手くいかなければダメといつからか思うようになり、ダメにしないためにダメなものすら無理に正当化して「これは失敗じゃないんだよ」と強がったと言えば近しいだろうか。
失敗というものに対して負のイメージが大きい価値観だっただけに、それを誤魔化す幼さというか臆病者なのだろう。
実際のところ失敗した事よりも、その後に強がった事で失ったものの方が多いかもしれない。
相違からのジレンマ。幼かった頃の大きな失態の記憶。
己から離れている物ほど重く感じるものだ。(時に憧れに嫉妬を抱くことがあるように)
例えて言うなら10センチ1キロの物を持つのと10メートルで1キロの物を持つのとでは手元から距離がある程重く感じるようなもの。
てこの原理だろうか、実際に重いものである。
また鞄なども同じ重さでも紐が長いと揺れ幅が多い程重い。また買い物袋もぶら下げているより、根元を掴んだり下から持った方が軽く感じる人も少なからずいるとは思う^^
実質的な対象物の質量は変わらなくても圧力の受け方が変わる。
気持ちを物で比較し比喩してもあくまでイメージしやすく言ってているだけで根拠などないのだけれど。この場合は根拠の云々ではなく実際にどう感じているかの方がずっと重要な事だ。
現実や理想についていけてない自分の気持ち
または自分の気持ちと距離のあり過ぎる他人の気持ちや価値観というものもまた「重い」と感じてしまうものかもしれない。
それは重さを抱えれる実力が無い自身の問題のようにも思えるたりもするけれど。
ただいきなり不慣れな事をやれと言われて、上手くこなせるほど万能じゃ無い。
むしろ万能には程遠い。
それが当たり前で、それが自然のはずなのだけれど。
どうもこなせない自分に不満を抱いたり、できている他人と比べたり比べられたりで歯車が狂ってしまうような感じを否めない。
成れもしない、慣れもしない理想で自身にジレンマを増やし過ぎないためにも、素直になる練習をしていきたいものだ^^
素直になれないのは、出していないから、出したイメージも湧きにくいからなのだろう。
「自分が無理と思い込んでいる事を越えてみれば、越えるものだと実感できる」
越えてないから越えれないと思う事しかできないのだと、それをどこかで思ったのか聞いたのか忘れてしまったけれど記憶にある言葉。
越えれることを知ろうとすることが何よりの前向きさだろうか。