2度手間を踏んでもどかしくなってしまった。
そんな時は誰しもがある事ではなかろうか。
二度手間の嗜み
誰しも二度手間というものを経験した事はあるとは思うのだけれど…
ちょっとした二度手間ですらため息が出てしまったりする事も少なくはない。
「面倒くさいな」とか「やってしまったな」とか感じるものかもしれません。
よくある事で言うならば
雨降りそうだなと洗濯を入れたら晴れ晴れしてしてきて再び出したり…
外出の際に財布や携帯を忘れて取りに帰ったり
本来1度で行けたと思うことに対して2度以上の手間や、しなくてよかったような手間を費やす事はしばしばありますね^^
何故もどかしく思うのか?
- いつもは出来ていることが、出来なかった故に不満
- 面倒くさい
などなど理由は様々。
それに対してふと思う事がある。
それは損得勘定が働いているのかもしれないという事。
イメージ上や普段なら1回で済ませれでることが、2回かかると損した気分になるのかもしれない。
例えて言うなら[バーゲンセールで買った服が後日安く売られているのを見かけて損した気分になる]という損得勘定の心理もそれに似ているだろうか!?
そう考えると
「手間が面倒だ」という条件反射的な感情の場合も、割に合わないという損得勘定が深層心理で働いているように感じるのだ。
そもそも何事も一度で成せる保証はない。
もう少し言えば、ミスを想定していない、あるいはミスをしないという思い込みが自身の感情を追い詰めていると言っても一論あるようにも思う。
損得勘定があるなら何なのさ!?
損した気になるから負の感情が芽生えるのならば、
まず第一に
失敗や手間=一概に悪い事ではない。
失敗なんて誰でもするものだ。
失敗1回につき1つの失敗の仕方を学んだという事にもなる。それは失敗の消去法とでも言えば伝わりやすいのだろうか。(わかりにくいだろうか…)
例えて言うと
本物のリンゴが1つ、偽物のリンゴが9つ全部で10個あるとする。
そんな中で効率的に本物と偽物を判断するには、1つ1つ消去法で触ったり割ってみたりするのが合理的だ。
その際に偽物を引き続けたとしても10回目までには本物を見つける事ができる。
つまり失敗の仕方なんて数え切れないほどあるのだけれど
そのうち1つを知った事は、決して無駄というわけではない。という事を言いたいのだ^^
第二に、
損したと思うなら、得する理由も考えてみよう!
例えば物を忘れて取りに帰えるという二度手間で言うと
それは単純に移動距離が2倍なのですし、捉え方によっては
カロリーを消費できている!とか
筋肉を使っている!
という損に対して自分なりの得らしきものを考えぶつけて緩和してもいいじゃないの^^
極論の取り返しの付かないレベルにはお手上げだとしても、ちょっとした二度手間を受け流せるに越した事はないのだろうさ。
ただ怒る事もショックを受ける事も悪い事だとは思わないだけに感じた思いはちゃんと感情に出す事も健全かもしれないけれど。
それはそれで有りとして、これはこれで
ちょっとした二度手間くらい
はははっ(^◇^)と笑っていたいものです。