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失恋の相談や失恋の報告への心構えと無き正解

≪こんな感性あっていい≫

人間生きていれば、幾度となく失恋することもあるものです。

死別しかり、生別しかり、円満別れしかり、喧嘩別れしかり、音信不通しかり…

そんな中、失恋者から相談される事もあれば、相談する事も珍しくはありません。

また、別れた直後は特に、

納得いかなかったり、

感情のやり場に苦しみ、

拠り所を求めて彷徨いやすくなるのかもしれません。

今宵は、突然の通知をきっかけに、そんなことに思考を費やすのであった。

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突然の失恋通知と余談

普段、連絡が無い方からの唐突なメッセージが届いた際は、嫌な事があったという報告が多いのは気のせいだろうか。

とは言っても「結婚しました」、「子どもを授かりました」などハッピーな通知もあったりするので突然の通知が悲しいものが多いと感じるのは、個人的な問題かもしれませんね。

むしろ、ハッピーもアンハッピーも個人で抱えきれなくなった時に、他者の協力が必要になってくるもの。

という方が正解に近いのかもしれませんね。

 

正解というものを知らないのなら近いかどうかもわからないだろう…という揚げ足を自身の内心に取られつつも、

 

自身の器から許容しきれない何かしらが他の器へと流れていく現象

 

という風に感じてしまうのです。

 

良い事があった時、その嬉しさを自慢したくなることも

悪い事があった時、その悲しさに寄り添って欲しくなるのも

 

いっそのこと聞こえを悪く言ってしまえば、他者に喜びや悲しみという荷を背負わせる行為なのかも知れなかった。

 

何故、聞こえ悪く言った?

 

聞こえ良く言えば、共有するための行為でしょうか。

 

喜びは2倍に、悲しみは半分にというような前向きな表現の方が与える印象は良いのかもしれませんね。

 

勿論、荷を負わせる行為と述べましたが、それが悪い事ではないですし、責めたいわけでもありません。

ただ、自身に置き換えてしまうと相談する事で相手に重荷を背負わせているようで申し訳なく感じる事があったり、また、相談された時に内容によっては重すぎてとてもじゃないけれど寄り添えそうになく感じたりする事を表現するには、ネガティブな表現の方が伝わりやすいような気がしたのです。

(はい、見苦しい言い訳そのものです。)

 

 

どちらにせよ、それらは当事者にとって必要不可欠な事をしているに違いは無いのです。

そして恐らく相談しなくても平気な方には、相談そのものをしない傾向にあるのではないでしょうか。

出会ってきた人の中に、干渉が嫌ったり、内気等の理由から相談できない人はいても、喜怒哀楽を掌握したかのようにあえて相談しない人には出会った事がありません。

 

other
other

友達いないだけでしょ。

 

amini

片手で数えるくらいはいるよw

○○○なんて片手で十分さ!

 

other
other

かっこよさげなセリフも友達が片手で十分と言ってしまうと台無し感が半端ではないね。

 

amini

人類みな兄弟とはいかなくても、人類みな友達予備軍と思えば先は明るかろう?

きっと、そのうち指が10本じゃ足りなくなるさ。

 

other
other

数いれば良いは言えませんしね。

それにしても予備軍って言うとネガティブなワードに使われてるイメージがあるので違和感がありますね。

 

amini

幸せ予備軍。そういう使い方も悪くないと思うけれど…

と、横やりを入れたお陰様ではなしが脱線するのは、いつもの事なのです。

 

 

その度に思うのです。話の道筋を立てて語れる人は凄いなぁ。と。

 

唐突な通知の中身

今宵、幾月ぶりに一件のメッセージが赤く光っていたのであった。

恐れずに開いてみると、「恋人と別れました」という報告である。

※詳細は、プライバシー保護のため掘り下げは致しません。

 

失恋相談を持ち掛けられた時の心構え

出だしの言葉選びは特に慎重に

この時点では、振った側なのか、それとも振られた側なのか分からないため下手な発言は控えた方が賢明です。

振った側を責めるような返事で相談者が振った側だった場合、

あるいは、振られた側を責めるような返事で相談者が振られた側であった場合、

失言となりかねません。

そのため、振った側なのか、振られた側なのかが判明してない場合には、相槌程度が無難そうです。

 

失恋者には余裕がない

自ら振って清々しているような失恋者ならばともかく、別れなければならない理由ができて泣く泣く振った場合や振られて納得がいかない場合など、

当事者は、感情の行き場や余裕というものがないものです。

それが発露した結果の1つとして、知人、友人、家族などに相談が舞い込むのだと感じます。

相談を受ける際に、そのことを頭の隅に置いている方が口論になりにくいかもしれません。

 

相談される方にも限界はある

失恋相談は、それなりに相談相手にとっては重く感じてしまうこ事もしばしばです。

また、許容量においても相談相手によって様々であり、また、時々でもあると感じます。

もしも、相談を持ちかけた時点で相談相手に余裕がない場合、意見の食い違いによって口論になってしまう事も少なくはないので注意が必要です。

※相談者には冷静な判断がしにくいからこそ、失恋に加えて友情や家族愛まで亀裂を入れてしまわないようにお気をつけ下さい。

 

悲しみ続けれる人は、ほぼいない

存在しないと言い切れるものではないものの、多くの人間は喜怒哀楽を長時間継続できないものです。

泣き疲れ、怒り疲れる、時に笑い疲れるものです。

そうやって喜怒哀楽が出す事で心身のバランスを整えようとしているのですから、それを抑圧したり、我慢し過ぎたりしてしまう事は、よくはなさそうです。

 

根拠はありませんがイメージしやすそうな比喩として、

外傷も通気性の悪い絆創膏を貼ると化膿しやすいように、心の傷も感情を抑制しようとしてしまうと悪化してしまう

のかもしれませんね。

 

相談相手は、そこに居てくれるだけで有難い

相談者の中には、既に失恋に対してどうしようもない事、諦めないといけない事などを自覚済の方も多いものです。

 

「私に相談しても何もできないよ?恋愛で成功した事ないからね^^それに自分の事すら思うように動かせていないのに、他の人なら尚更だよ♪」

 

というような、相談者が気を遣いかねない自虐ちっくな返答をしたことがあります。

 

その返答として、「聞いてくれるだけでいいんです。それだけで有難い。」

 

というものがありました。

 

そうかもしれませんね。

 

ただそこに寄り添ってくれる人がいるだけで、心強さや安らぎを感じる事もあるものです。

 

相談を受ける場合はアドバイスに固執し過ぎない

他人を自身のアドバイスや経験則で動かそうとするのには無理があります。

それを押し付けようとするのは、相談の域を超えた支配欲なのかもしれません。

たとえ、それができたとしても相談者にとっては、あまりいい傾向ではありません。

相談者の中には、他者依存化し、自身で選択する事を止め、自己判断能力が薄れ、洗脳されてしまうケースもあるかもしれません。

そのため、相談する場合は、他者に責任転嫁や依存し過ぎないように気をつけて下さい。

※失恋などの心が疲弊しやすい状態にある人は、冷静な判断が鈍りやすく、弱みに付け込まれやすくもありますので相談相手は選びましょう。

 

限界を超えて相談者の相手をしない

相談者の気持ちを汲み過ぎて、相談を受けた側がストレスを溜め込んでしまうことも少なくはないものです。

睡眠を削って話に付き合ったり、無理して気晴らしの外出に付き合ったり

など。

それらが悪いわけではありませんが、無理している事ほど、

内心「やってあげているのに」という感情が芽生えやすくもあります。

そして、相手の行動や発言などを引き金に溜めていたものが爆発してしまった。というような事は、よくある話かと思います。

自分は、相談者のために気を使って言葉を選び合わせているのに、感謝しているようにも見えず、アドバイスしたのにも関わらず警告を無視されて裏切られたように感じた。

などなど。

見返りや支配欲が全く過ぎらない人も珍しいかとは思いますが、他人は思うようには動かないものだという事を念頭に置いて、相談に乗るか反るかを決めた方が良さそうですね。

相談に乗って関係を壊すくらいならば、乗らない方がいいかもしれません。

「意見が食い違いがって喧嘩したくないからごめんね♪」という逃げ腰は、アリなのか?ナシなのか?賛否両論あるのでしょうね。

 

アドバイス道理に動ごいてくれなくてもかまわない

自身に置き換えてみると、そもそも何かを強要するようなアドバイスをいつの間にかしなくなってきたように感じます。

それは、そのアドバイスによって失敗した時の補償ができないからという褒められはしない責任逃れなのでしょう。

それでも、責任も負えもしないのに、あぁしろ、こうしろと強要してしまう方が無責任なように感じるのです。

そうあるくらいならば、たとえ嫌われてしまったとしても初めから責任逃れの無力で構わないのです。

 

ま・と・め

行きつく所、当事者に寄り添う事はできても、決めるのも向き合うのも当事者なのです。相談を持ち掛けられる側にとっては、幾度となくその無力感に苛まれたりもしますが、そこに居れるだけでも役に立っているという事を軽視してはいけないのかもしれませんね。

 

後は、時間が良くも悪くも風化させていくことを待つしかないのでなかろうか。

そのようなありふれた事を感じます。

 

いい思い出も、悪い思い出も、それらが宿る心も肉体も、時は残酷にも奪っていくのです。

 

いつかは失い、いずれは奪われる事を分かりながらも誰かに惹かれてしまう本能を素敵だと感じるのか、それとも滑稽だと感じるのか、はたまた他の事を思うのか。それらもまたその人次第なのでしょうね。

 

これらもまた、その時々における100%私的な価値観ですので正しいと言えるものではありません。あくまで一個人感性程度に読み流してくださると幸いです。