今年もクリスマスシーズンを迎え、有り難い事にメッセージカードを受け取りましたのでお返しカード選びへ。
クリスマスカードのお返事をしよう
クリスマスカードと言えば、
・子へのメッセージ
・恋人へのメッセージ
・家族や友人へのメッセージ
として使われる事も多い事と思いますが、今回は友人からのクリスマスカードの返事用としてクリスマスカードを探してみました。
クリスマスカード選びに特にこだわりがあるという事は無いのですけれど、最低限クリスマスっぽさの伝わりそうなものを毎年選んでいます。
(ハニカム構造になっているので広げると雪だるまが立体になります。
サンタver.と迷いました)
メッセージカードが嬉しい人もいれば、要らない人もいる
個人的に受け取った感想としましては、携帯電話の普及以降、直筆のお手紙やメッセージカードの利用数も減っているためか、稀に送ってくれる方がいると普段見慣れなくなった分相応に暖かく感じやすいです。
とは言いましても、
・貰った後の処分に困る
・何を書けばいいのか分からない
・面倒くさい
・メールで十分
・その他
などの理由から、できることなら受け取りたくない。気を使い合うのが手間だと感じる人もおられますので相手をみて送付の有無を決めるのも1つでしょうか。
お返しのカードは必要?
メッセージカードもまたプレゼントと似たようなもので送り手のご厚意です。
それに対して、お返しの有無もまた受取手の厚意といえそうです。
そのため、送るのも自由/返すも自由。その反対も然りということになるでしょうか。
ただ、挨拶しても返事がないのと似ているため好感度は下がる恐れはあります。
要らない場合は、気を使い過ぎてギクシャクしたくないのでメッセージカードのやり取りをしないと伝えておくのも1つでしょうか。
無理して合わし続けているならば、その時に言って欲しかった。と、ならぬように…。
※喪中などを事前に知っている場合は、控えた方がいいとされていますのでお気をつけ下さい。
お返しカードを送らない際にはメールにて御礼
お返しカードを送れない(または送らない)場合は、メールにて御礼等を述べておきましょう。
上で述べた事と重複する部分もありますが、送られてきたメッセージカードに対して何も触れないというのは送り手に不安や気まずさを与え兼ねませんので厚意には厚意で応えれるに越した事はないのでしょう。
気を使い続ける事に納得できるのならば問題ないのかもしれませんが、そうできない場合や気疲れやストレスに感じてしまう場合には、嫌われるリスクを負ったとしても拒んだ方がいい事もあるのかもしれません。
どんな関係にも発展もあれば衰退もある
初めは奮発していたプレゼントや手紙の内容も、年々、双方の都合や距離感によって質素や簡素になる事も珍しくはないです。
一見、冷めただけにも感じなくはないですが、
見栄を張ることがなくなった。
素を出せるようになった。
良く言えば、相手の安心感の現れといえるのかもしれないので冷めたと判断するのは早計かもしれません。
それが熱していたピークから落ち着いただけなのか、冷めきっているのかの判断を早まって、自ら関係の溝を広げてしまわぬようお気を付けください。
当然、安心しきっている事を手抜きという見方もできるので、程よく緊張していて欲しいというのが理想論なのかもしれませんね。
自分なりにメッセージカードをお返しする際の書き方で気を付けていること
お返しする際に、個人的に気を付けている点を幾つか挙げさせて頂きたいと思います。
※カード自体はクリスマス感満載なのですが、内容はメッセージカードやお手紙に近いためクリスマスカードというよりはメッセージカードや手紙としてのお返しで気を付けている事になります。
書く量は、なるべく相手に合わせる
お返しするという事は、先にメッセージカードを受け取っているという事になりますので、先にいただいている量になるべく合わせるようにしています。
所謂「同調」です。
長文に短文で返すと短過ぎると感じる人もいる
例えば、メールやSNSであっても長文で述べられた事に対し、超短文で返した際、それを手抜きに感じたり、真剣に聞いてくれてないと判断する方も一定数いるはずです。
以前、フリマアプリで出品者から長文のメッセージが届き、「承知致しました。宜しくお願いします」と短文で返答した際に評価を下げられた経験があります。
理由は、短文が不愉快だったからだそうです。成程、取引メッセージであっても質のあるコミュニケーションをしたい方も居られるんだなと学ばせていただいたものです。
(その当時は、怒るほどの事なのかな?とは思ったりもしましたが、いろんな方が居られるので自分の意見が正解というわけではない事を忘れてはいけないのでしょうね。自身の傲慢さに足元を掬われてストレスを増してしまうのならば、愚か者や偽善者でいる方がある意味で健全なのかもしれないと感じる事も増えたような気がします。)
結果、質の高いコミュニケーションを望む人からの評価が下がるならば、それはそれで致し方ないという判断に至っています。
流石に、相手の都合にのみ合わせ続けて長文を返し続けるだけの覚悟も能力もないのです。きっと、合わせていれば「無理して合わせているのに」と別の傲慢さや不満が芽生えかねないのは目に浮かびますので、そこが自分なりの一線なのかもしれません。
※誰にだって許容量は限られていて無理し続ければ限界は訪れる。厚意だって無限じゃないのですから。
ですので、メッセージカードのお返しも、あくまで「なるべく合わせる」程度に留めています。
短文に長文で返すと、長過ぎると感じる人もいる
では反対に、自身が短文で送った事に対して、相手から超長文で返ってきた場合は、どうでしょう?
正直、読む気が失せてしまう人もそれなりにおられるのではないでしょうか。
実体験では、過去にメールで自分の意見を語弊の少ないように述べると長文になった結果、友人からは「長っ」と言われた事が何度かあります。
概ね、興味の無い事を長々と語られても反応に困る。というのが、その時の友人の心情でしょうか。
確かに逆の立場の際に、長いな…と感じる事が無かったかと言えば嘘になります。重い話や興味の無い話ほど余計に長く見えてしまうものかもしれませんが、メールを開いた瞬間に下まで文字が埋まっていたら文字酔いしてしまう事もあります。
故に、「長文に対して超短文」、「短文に対して超長文」にならないように返答すると相手を不快にさせにくいのではなかろうか?と感じています。
※書く内容で不快にさせては本末転倒ですのでお気を付けください。
あくまでもお返しなので、自己主張よりも相手を労う
お返しする立場ですので、厚意への感謝の気持ちを述べたり、なるべく先に頂いた内容に沿って書くことが多いです。
例えば、「今年も残すところ僅かとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?」、フランクな方なら「最近どう?」など、関係性や相手によって台詞は異なるかとは思いますが、相手に自身の事を尋ねれていた場合は、言える範囲でその事に軽く触れながら展開していくといった感じです。
後は、プレゼントなど他に添える場合には、それを選んだ理由や使い方を軽く説明したりするくらいです。
大半は、手紙に書いてある相手の近況に触れつつ、冒頭や文末で相手への労いの言葉を添える程度の当たり障りのなさそうなありふれた内容です。
そのように、友人にあてたメッセージカードのほとんどが特に何を強要するでもなく、自慢話をするでもなく、『そこに居るだけの私、そこにあるだけの文字』といったスタンスです。
アドバイスも行き過ぎれば責任のとれない無責任な強要に成り兼ねませんし、自慢話を永遠と展開しても悦に入れるのは語り手だけですのでね。
極力、厚意には厚意を心掛けて相手が気まずくないお返しを出したいものですね。
「想い」は行き過ぎれば、時に「重い」
相手の「相」のという漢字の下で「心」が押し潰されているようにも見える「想」。
それだけ「想い」は重いという事でしょうか。
これは、こじつけです。本来は、心で物事の姿をみるといったような成り立ちがあったように思います。
それでも重くなって心が潰れそうになる事や押し潰れてしまうこともあるものです。
人間関係は一方通行ではありませんし、たとえ一方通行があり得たとしても自身の心身を思い通りに運転するというのは非常に困難な事のように感じます。
だからこそ、受け取る分も与える分もほどほどである必要があるのでしょうね。
初めからコントロールできるのならば苦労はしませんが、特に読み手の際に親身になり過ぎて抱えきれない事に無理し過ぎてしまわぬように、まずは自身を労わってあげて下さい。
※他者の支えたいのであれば、それ相応にまず自身が強靭である必要がある。
それが出来なかった者としては刺さる言葉です。
案外、それだけで意味があるものなのかもしれない
高価なプレゼントや為になるメッセージを欲する方も中にはおられるかもしれませんが、
例えば、泣いても強くなった気はしませんが、泣くこと自体に感情の発散といった意味を持つことがあるように、
しんどい時にただ隣にいてくれる人がいるだけで心強く感じたり、勇気づけられたりする事があるように、
メッセージを送れる場所があって、それを受け取ってくれる人がいるというだけで意味があるのかもしれませんね。
また、特別な事は出来なくとも、できることもあるということなのかもしれません。
ま・と・め
クリスマスカードやメッセージカードに個々個人がどう感じているのかは、私に測れるものではありませんが「いつもありがとう」と、メッセージを送れるいい機会になっています。
きっと私にとっては、それだけで意味があるのです。MerryXmas🎄