帰国子女と呼ばれる人の中には家庭の都合で幼少期を海外で過ごし外国語のみペラペラで日本語はあまり出来ないというケースも無くはない。
それだけ言語の両立は難しいらしいのだ。
計画的に保てるようにバランスをとる生活習慣をしてないと大きく偏るともいう。
確かに周りが使わないのに自分だけがやっている事と言う環境ならばジレンマを感じやすい結果、話さなくなりバイリンガルにはなれなかったという人もいるのだとは思う。
(片言でも羨ましいのだけれど)
家庭環境や体質や容姿、そういった物で仲間外れにされてしまう事も、幼少期には特に多いかもしれない。
違うと感じるものへの排他的さ。
青年期になっても、大人になっても、老人になっても、少なくともそういうものがあるのだろう。
それは、違うから排他なのか、嫉妬からの排他なのか、嘲笑からの排他なのか多様な理由がありそうである。
話を戻すと、帰国子女で外国語がペラペラなのに日本語ができないパターン。
そんな中でも踏んだり蹴ったりのような展開、
それが日本語を覚えて初めて外国語を忘れてしまう場合。
ペラペラだったのに、忘れてしまう。
(漢字が携帯の普及によって読めても書けなくなるような感じなのかな?)
ただ、全く出来なくなると言うのは、語弊があるような。
確かにある程度、言語記憶の土台ができる前に帰国し、日本語だけしか話さない事が何年も続けば忘れる事もあるだろうけれど、
それは、記憶が眠っているだけで刺激していけば全く0から学ぶのとは比較にならない速度でリバンウンドできるのではなかろうか。
(と思わなくもない)
ただ、忘れてしまって英語もできない、日本語も中途半端に片言止まりの習得しかできないリスクを思うと、帰国子女って大変なんだな。
としみじみである。
また、留学やワーキングホリデーによる帰国子女というだけで英語がペラペラ!
という偏見は確かに未だにあるのかもしれない。
赤ちゃんの高感度聴覚とスポンジのような吸収力の脳を持ってしても母国語をそれなりに流暢に話すまで3〜5年はかかると思うと、
数年程度でペラペラというのは、無理があるような気もしなくはない。
そして、留学やワーホリで何年もかけて培った語学力をキープするのにも大変なようだ。
一時帰国していた友人の1人は日本語を頻繁に噛むようになっていたけれど、
帰国中は、
常に部屋では洋画を流し、
英文を眺め、
海外の友人と連絡を取りながら
帰国中でも低下しないように維持を心がけていた。
他にも、数カ所の留学によって数ヶ国語を嗜んでいた人もまた海外支部にて他国語を常用するような仕事をしていたりする。
どれだけ鍛えても、使わなきゃ錆びる。
(という事なのだろう)
当然と言えば当然である。
そんな事を思うと、使いもしない知識を試験だけのために詰め込み。
試験が終われば忘れて、何ら身になってない学びってのは学びではなく学びきどりなのかもしれない事を思うと虚しいものである。
(本人次第であるものの)
そんな事を思いながら、得た語学を維持するのも大変なんだねとシミジミした雑談でした。
単語耳英単語八千を一生忘れない「完全な英語耳」理論編+実践編Lv.1