英語は聴くだけでは話せない
と言う、ごもっともな一説。
その通りだと感じるところ…
平たく理由を挙げてみると、
①そもそも聞き取れない
②聴く能力と話す能力は違う
③少なからず文法や単語や発音というような知識は必要
まず、聞き取れない。
日本人向けの基礎英語会話などでも英語に親しんでなければ聞き取れない。
そもそも単語知らないから内容をイメージをできない。
そもそも発音を知らないから雑音にしか聞こえない。
という印象。
中1レベルの基礎英語を聞いていても初めはさっぱりだったりするもの。
(単語を忘れていたり知らなかったり、発音を知らない、初歩的な文法を知らないために並びを混乱するなどなど)
とは言え、それは基礎から馴染んで行けば例え不恰好な発音でも自分で言えるようになり、自ずと聴こえるようにもなってくるのは確かである。
繰り返していると少しずつ少しずつシャドーイングができるようになってきたりもします。
発音なんて、どうせカタカナ混じりなんだから本格的にやらなくてもいいなんていう言うような意見もあるけれど
発音は発するためだけに必要なものではなく、聴き取れるようになるためも必要な気がしてならないところです。
恐らく、スラスラと聴き取れるレベルで模倣を繰り返しができるのならば、聴くだけでもそれなりの学習ができるのではなかろうか。
少なくとも知っている内容のものならば、復習は耳だけでできる。
(正確には、耳で聞いた事をイメージしながら発声しながら復習できる)
わざわざ紙に書かなくてもスペルや内容をイメージすることが耳からの情報だけで行えるのだと思う。
そのレベルになってやっと、リスニング教材を使えるかもしれないと感じるところ。
それまでは、日常の基礎単語、基礎文法、基礎発音記号や発音、連語や発音しない単語の発音慣れなどなどの繰り返しなのだとは思う。
それを洋画、洋ニュース、洋版アニメ、洋小説、洋版漫画、洋楽、ゲーム感覚の組み立てアプリ、英語を使える友達とのコミュニケーション、参考書やネットなどの辞書や解説サイトなどなど。
現代は、昔よりツールが増えている!
それでも何年も積み重ねて吸収していく必要がある。
ただ、アウトプットしないと使えない。
知識があっても実際使うのとは全く違うのは、野球に詳しくてもプロになれるわけじゃない、ダイエットの仕方を知っていても実践というアウトプットをしていないと効果はない。
と言われれば、そりゃそうだ。
ましてや、聴くだけで話せるなんて
現地に滞在して四苦八苦しながら何年もかけて英語に慣れた人
や
母国の赤ちゃんでもそれなりに流暢に話すまで3〜5年くらいはかかっている事を思うと、
ふざけるんじゃありません!
と言われてもおかしくはない。
少なくとも見知った方達は現地で3年〜5年くらいをかけ更に継続して積み重ねている。
もし、聴き流すだけで話せるようになるのなら何十年も洋画を眺めてる人は話せてもいいものだ。
少なくとも雑音として聞き流しているような聞き流しには大した効果はない。
多少効果があるとしたら、その雑音が苦痛な雑音ではなく聴いてても耐えれる雑音になり疲労感が減る事くらいだろうか。
それもまた多少聞えるようになってくると、どんな意味だったけ?
どんな単語だっけ?
発音的にどっちの単語だろう?
勝手に和訳がイメージに浮かんで英語として聴けない
などと意識が巡るようになると脳の疲労感は増えて疲れやすくなるような気はします。
また、それが難なく英語で直接イメージできるようになってくると脳の疲労感は減るのでしょうけれど。
そうやって段階的に想像してみると、脳トレも筋トレのように負荷と回復を繰り返し耐性や免疫がついていく過程が似てるような気もしなくはないなぁという雑談でした。