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消えない傷の1つ2つ

≪こんな感性あっていい≫


誰しも消えない傷の1つや2つは抱えていたりするものという事から始まるお話です。

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誰しも消えない傷の1つや2つは抱えていたりするもの。

そうは言っても「皆もあるから大丈夫だって」と言われても、大丈夫じゃないから問題なのだろうと内心思うものではないだろうか。

また「気にしても傷がなくなるわけじゃない」と言われても、解っているけれど気負う事(気にしてしまう事)が問題なのだろと思うこともあるだろうか。

御もっともな話ではあるけれど、傷の深さは個々違うだろうし耐性だってそうなのだ。

ただ励まそうとする言葉に悪意を込持っていない事に噛みつくとかえって自身が疲れてしまうものだ。

きっとそれは消えない傷を消そうともがく行為の1つだからなのだろう。

つまり「大丈夫」や「傷は消えない」ということを受け流せないという事が、傷を解消することを望み続けている事を指すのだ。

例えるならば、紙に油性ペンで書かかれたラクガキを通常の消しゴムで消そうとするようなもの

油性ペンのラクガキ=傷

通常の消しゴム=傷を消そうと抗う行為

だとしたら「紙」は、きっと「誰か」である。

「誰か」は自身かもしれないし、他人かも知れない。

何故他人も含まれるのかというのは、自分が大事にする人を傷つけられたり、取り返しのつかない事故や災害に巻き込まれた場合、他人の傷でも自身に響くものだからだ。

ただどんな傷でも、消せそうにない傷を消そう、消そうとしてしまう事は

紙に書かれた油性ペンのラクガキを消そう、消そうとして余計に滲み、終いには紙が歪んだり、破れたリしてしまうものだ。

その紙が自身や他人だったとしたら、歪み、壊れてしまう事を良しとは思い難い事である。

本当に傷を癒したいのであれば、極力触れてはいけないものなのかもしれない。

例え気にしてしまったとしても、弄繰り回してはいけないもの

まるで、傷の後にできたカサブタのようだ。

気にして破いてしまうと、直りが遅くなり、傷跡も残りやすくなっていく。

では、どうしたらいいの?という事に回答するならば

どうにもできないし、気になるものだ!としか言えません。

それの繰り返しを経ていく内に風化するか、受容していけるかどうかなのでしょうか。

もしも即時解決や正解を知っているのならばむしろ教えを請いたい側である^^

ただ真面目過ぎなくていいし、誠実過ぎなくていいとは思う。

というのも「背負わないのは無責任である」、「あの人の分まで頑張ろう」と遥かに身の丈以上のできない事まで気負ってしまう事は報われるどころか悲惨な悪化を生みやすいものでもある。

やはり出来ない事をできるようになろうとする事と出来ない事をしようとする事は全く違うという事なのだろう。

それは努力と無謀くらいの差があるのかもしれません。

無謀という暴挙を起こさないためにそれなりの無責任さは必要になってくるのでしょう。

酷い奴でいいのです。良い人であろうとし過ぎでストレスが増えていると感じる人は、ちょっとくらい酷くでもいいじゃないですか。

自身や常識によって作り上げられた人間像にジレンマを起こすことは誰しもしばしばあるものの、それを悪いと思う事の方がよっぽど不健全なのかもしれません。

そうやって悪いと思い過ぎる事を緩和できるなら、傷というものに対しても受容のきっかけになるのかもしれません。

ラクガキがアートに昇華することもあるだけに、負った傷が何かの形で昇華する可能性は無きにしも非ずなのでしょう。

消えない傷に対してそれくらいの希望を用意するのが、やっとこさです^^

巨大な壁のようなものに対し、自分なりの希望を設定することを許されている事だけでも有難い事なのかもしれません。