SNSの普及と共に、SNS疲れなるものが普及している事への対策について…。
sns疲れ対策
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)とはネットを媒介として人間関係の構築を促進するツールと言えるだろうか。
具体的に言えば、ネット上の投稿(日記・つぶやき・メッセージ)を通じてビジネスあるいはプライベートにおいて友人や知人と情報交換したり、趣味を介して新たな交友関係を築いたりするもの。
また、大きな枠組みから観れば、ネットにおいて人間同士の交流が生じるものはSNSと言えるのかもしれません。
そのSNSは、ネット社会が流通している現代では1つの人間関係そのもの、1つのコミュニケーション手段と言われているほどである。
それによって人間関係のコンビニ化(便利)という長所がある一方、それ故に生じてしまうトラブルも少なくはない。
ただデメリットの多くは、ネットの良し悪しというよりも個々の使い方によるところが大きいものである。
どれほど素晴らしいものであっても、使い方によってはトラブルを招きやすくなると言われれば納得である。
使う側の使い方である以上、自身に合った折り合い方を模索していくのも1つなのでしょう。
SNS疲れに陥る原因
一言で言えば情報過多と自己肯定不足ではなかろうか。
言い換えれば自身の能力以上に無理をしている、あるいは負荷を拾ってしまっているという事である。
例えば
他者からの注目を浴びようと投稿したものの、他者から期待道理の反応がない。
自身の投稿に対して否定的なコメントが寄せられる。
他者のツブヤキや日記の内容が羨ましく嫉妬を煽られてしまう、またはネガティブ過ぎて重く感じてしまう。
自身が会話に参加していない状態でサークルやグループチャットなどの通知が溜まったり、所属しているグループで浮いてしまう。
などなど。
ストレス値を下げるために出来る事を大きく4つ挙げてみる
1.他者の評価を第一にしない
ビジネスであれば口コミや評価というものは大きく関わってくるので評価は重要であるが、プライベートに置いて必要なのは他者からの評価より、自身による評価である。
他者から認められる事で自信がつき、前向きさを養っていく事もできるためそれ自体が悪いという事ではない。
ただそれを第一としているとよく見られるための背伸びが増え、それ故に現実との差が広がる事で葛藤も増えてしまいがちという事である。
危惧したいのは、自信の期待通りの反応を得るために発信する情報がエスカレートし、受信する反応が少ないため満たされないという悪循環を引き起こしやすくなるという事。
さらに、自身が発信したことに対して多くの他者が興味を持ってくれれば満たされ続けるだろうか?というのも些か疑問を抱くものである。
例えば、お腹が空いてご飯を食べて満腹になった後に食べ続けようとしても限度があるものです。
つまり、長い時間それを繰り返してるという事は満足しきれていない証である。
何か明白な目標があり、目標との距離感が掴めるものならば支障ないものであっても、終わりないものを永遠と繰り返していると「終わらないマラソン」のようなものである。
何より、他者からの反応を第一に置くという事は、自身のしたい事や言いたい事が二の次、三の次になっている事がストレスに直結しやすい点でもある。
それは、自身の本心を抑圧している事と同義なのだから、尚更、ストレスが溜まりやすくなるのは当然である。
その緩和案としての「他者評価にこだわらない」である。
そのこだわりを下げていくためには、まず他者からの評価をいう情報に翻弄されて自身の能力を上回ってしまう事で疲弊しやすくなるということを認識する事と
自分の本心に沿った事を自信をもって自己評価に納得できるような自己肯定感を時間を掛けながら養おうとしてみる事が改善策の1つである。
2.トラブル時は一間を開けて自問自答
ネットを利用していると実際に対面するよりも心無いコメントと触れ合う機会もそれなりにあります。
時に自身の発言が価値観の異なる人の癇に障ってしまう事もあり得る話ですが、著しく心無いコメントが飛んでくることも無くはありません。
が、度が過ぎたものは、その人の問題であり。回避するには削除やブロック、各運営に対応してもらうなど、対応は限られています。
また、回避せずに売り言葉に買い言葉に発展させてしまうとネットとは言え、公共の場で喧嘩しているので被害者側であっても第三者からすれば加害者であると判断される事も少なくはなく、正当な主張が通るとは限りません。
当事者にしかわからない事もあるので一概には言えませんが、自身にとって都合悪い人に対してエネルギーを使ってしまいがちな人には、「この人にエネルギーを使う事は自分のためになるのか?」と自問自答してみるといいかもしれません。
好きなものにエネルギーを使う事は大変有意義に感じるが、嫌いなものにエネルギーを使う事はスッキリもせず疲れるものなのでしょう。
これは裏を返せば、自身の価値観に合わない事へ心無い発言をしてしまう人もそれに当たるという事だ。
つまり、心無い発言をする人からすれば自身に合わないものへ意見をぶつけているのだから、言ってみれば嫌いなものにエネルギーを使っているのだ。
そう思うと、一層ぶつかり合う必要性を感じなくなれるかもしれません。
そして相手にしないという事は、ゴミ箱を置かない公園のようなものでもある。(ゴミ箱を置かない方がゴミを持ち帰ってくれるので公園が綺麗になる説)
つまり、受け取らなればぶつけた側が自身で処分するしかなくなるという事だ。
まるで「受け取ってもらえなかったバレンタインチョコ」と比喩すると何とも切ない…
他者からの負のエネルギーを受け取る事で疲れるのもまた、自身の処理能力を使っているという事である。真面に向き合うほどに疲弊しやすくなるのも納得である、それを緩和したければできる限り回避する他ないのかもしれません。
何事であっても満場一致で認められるという事は無いので、否定を受ける可能性は減らすことはできでも無くすことはできないと受容していくしかないものなのでしょうね。
3.SNSの情報量を意図的に減らす
SNSの利用の仕方は規約に則っている限りにおいて個々の自由であるが、疲れを感じるならば見直してみるのもいいのかもしれません。
ネット経由とはいえ、1つの人間関係であるので折り合いのつけ方というのは容易ではないのでしょう。
実際に慣れ親しんだ家族や友人ですら円満でいるのは容易とは言い難いものです。
そのフィールドがネット上となれば、その情報や利用者の多さから、自身の処理能力を上回る情報過多に陥りストレスとなる事もあるということを上記に挙げてきましたが
それを理屈や価値観を広げるという視点からではなく、システムからストレス値を下げてみようという事である。
わかりやすいところでいえば、SNS内のニュースであったり、友人や知人のつぶやきや日記などに着目したい。
ポジティブな内容であれ、ネガティヴな内容であれ、
それを複数目にしてしまう環境というのは、それだけ情報が入ってくるという事でもあります。
そして、その情報に対し反応しやすい人および感情移入しやすい人ほど疲れやすくなります。
言ってみれば、飛んできたボールに対して取りに走って右往左往するように神経を使ってしまっていると言ってもいいのかもしれません。
ポジティブな内容を見ては、自身と比較して嫉妬を抱いてしまったり
ネガティヴな内容を見ては、自身のことのように重く感じてしまったりと反応してしまうのもです。
ただ、ポジティブやネガティヴな事に反応してまう事は仕方なくとも、
その人が背負ってる事であって自身と重ねる必要はどこにもありません。
むしろ処理しきれない情報の波が押し寄せてくるのならば、必要なものだけ持って、持てないものは捨てる!くらいの開き直りが必要とさえ感じます。
また体験談として、他者のネガティヴ情報を目にして干渉し世話焼き疲れを感じるとともに「案外、自分は他者の力を信用していないのでは?」と感じた事があるものです。
その人ならできるのだろうな!とその人の能力に任せる事で肩の荷を下ろすことも改善策の1つなのかもしれません。
都合の悪い言い方をすれば、情報過多に耐え得る能力が無かっただけの事なのですが、超人ではないため不完全で当然なのでしょう。
たとえ話す程度で軽くなる悩み事であっても、それが何人、何十人ものツブヤキや日記に真正面から反応するとなると結構な重圧となる。
名指しで頼られたり、どうしても協力したい事を除いて、興味本位や目に映ったからというだけで情報の渦の中に首を突っ込むのは無謀なのでしょう。
やはり感情が左右されてしまう内容のニュースやツブヤキ等を見過ぎないのが健全かもしれません。
特にツブヤキや日記は相手は吐き出すことで発散しようとしているのである。つまりは、絶賛発散中なのである。
ならば、それ自体に意味があるのでそれをどうこうしようとしなくていいものなのでしょう。
それらの情報を他人事と一蹴できる程であればいいですが、
他人事のように思えない人にとっては触れない神に祟りなしの如く、見ない投稿に障りなしなのかもしれません。
背負わなくていいという事に慣れていくまでには時間がかかります。(性格器質によるところも大きいです)
そのため、応急処置としてできる事が、見たくないものは見ない事である。
具体的には機能を利用し
・非表示にできるものは非表示にする
・読み返さないために履歴を削除する
・通知音をオフにする
・グループチャットやサークルなど自身が関与していない時の話題は読まずに削除する
・参加したら辛いであろうと予測できる事には初めから参加しない
などなど。
※情報を制限し向き合える範囲を徐々に増やしていくのは理想ですが、処理しきれる情報量に抑えておく事が現実的かもしれません。
4.最優先事項を決める
人間は見聞きする事に少なからず左右されます。また自己肯定感が低いほどブレやすくもあります。ですが高すぎると融通が利かないなどの角が立つこともしばしばである。
ですが、対することを同時に両方は選べないものです。
こちらを立てれば、あちらが立たずというような葛藤の中、優先したい事は何かをはっきりさせる事が重要なのでしょう。
今件の様に「sns疲れを緩和したい」のであれば、それが最優先事項である。
その最優先事項を達成していく上で様々な自分なりの葛藤を経て、「時に嫌な人である事」、「時に卑怯である事」を受け入れていくのも1つなのかもしれません。
例え受け入れているつもりでも指摘されればそれなりに傷はつきます。だけれども、手に負えないままに疲弊し続けたくはないという願望が叶っているのならばそれが成果なのでしょう。
SNSは、非常に便利なものですので使用方法によって良くも悪くもなるものであり、自分に合った折り合い方を模索したり、利用の仕方や価値観を見直してみるのもいいのかもしれませんね。