有名人ほど守れば卑怯だと言われ、攻めればやり過ぎと言われるというような立場が顕著にあるようにも感じなくもない。
守る場合の民事ごとには、もっと公けにしろ!という傾向が見られ、
世間を巻き込むような民事ごとには、良い加減にして!という傾向が見られるような
そんな感じがしなくもないわけだけれども。
やはり干渉の度合いだろうか。自ら干渉しているか、押し付けられたように感じるかの違いだろうか。
もっとも、それだけではなく観る側の感性の問題もあるのだろうけれど…
観る側には観る側の境遇や都合と言うものもあるだろうし、
境遇が似てると感じて共感する人もいれば、冷静に法や規則を尺度に観る人もいれば、
感情的に眺める人もいるのだろう。
そして生じる悪者決定戦。
それをしても部外者にとっては感情が煽られる割に得るものあまりがない。
主張なんて何かを通せば、それだけ補正が入る、都合も入る。
自分を通せば自分の主観補正が入り
他者を通せば他者の都合の補正が入り
法を通せば法的根拠あるものとそうでないものの振るいもかかる。
各人、それぞれ価値観や信念や想いといった都合なども違うので何が悪くて何が良いのかなんて法という一線はあれど真相を知る由もない他人があーだこーだいっても何が進展するわけではないものな。
なんだかなぁ…人間って不便なものだな。
人の嫌な面を見ているよりは、良いところを見ていたいものだ。