何が地雷になるか分からない会話/奢ってもらうのは申し訳ない編

昔々、ある日よくあるチェーン店での年上異性との御食事にて、危な気のないような日常会話を交わしながら食べ終えた時のこと。

会計を奢ってくれるという年上さんであったが、「自分も出します。」と言ったところ、結局「いいからいいから」と奢って頂いたのです。

…が、その後、帰りの車内で急にご立腹にシフトチェンジ。

 

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「もう帰るから!」と怒りトーンである。

 

地雷女と地雷男

どうやら私は地雷を踏んでしまったようだ。

もしかすると、店員の前で奢られるのを拒んだ事が年上として傷ついたのかもしれない。

ご厚意として否定せずに感謝で受け取る事も大切という事だろうか。

 

なんて事を考えていたところ、

「援助している気はない!」という言葉が飛び出してきたのであった。

ご飯を奢る=援助のつもりではない。

それは、こちらとしても援助だとは思っていない。それどころか交際もしていない。ご厚意で支払ってくれたという認識である。

一体、何がどこでどう繋がったのだろうか?

過去に援助関係のトラブルでもあったのだろうか。

それとも発言が「援助してくれてありがとう」あるいは、「援助してくれなくていいから」というような言い方に聞こえたのだろうか。

先に想像したように、年上としての面子に泥を塗ってしまった配慮の無さだと指摘されるならば理解は容易いのだけれども、

それが援助というワードに飛躍し、激怒と化していた事には理解が追いつきそうになかった。

恐らく、その人の過去の出来事を部分的に現在の状況と重なり、過去と今を繋げた結果の反応である可能性が高そうではあるものの、

「自分も出します。」と言って激昂されたのは初めての事だったため戸惑いしか有らず、既に激怒という手遅れの中、明確な原因を特定できずに気まずい車内の空気に当てられていた。

激昂状態の人間に、何を言っても話が通じるわけはない。感情的な方ほど、どの言葉を添えても全てが「火に油」と化す傾向が高い。

どうやら、その方もそういう傾向が強そうであった。

放つ言葉は全て悪口として受け取る反応が続いた後の沈黙が、互いの帰路が別れるまで続いたのであった。

そんな怒りの熱気がムンムンの車内であった。どうせならお色気ムンムンが良かったものだ。バレンタインだったというのに熱気でチョコレートも溶けていたかもしれない。

(そう言えば、別れ際に、バレンタインの義理チョコを頂いたのであった。

捨てるの勿体無いから、いらないなら後で勝手に捨てて!

という別れ文句と共に頂いたのだった。

苦い思い出とは対照的にチョコレートは甘かった事を覚えている。)

帰宅後、チョコに罪は無いので冷凍かで冷やしてから美味しく頂く事にしたのだった。

吐き捨てるかのように渡されたチョコレートを無神経にも頬張りながら、

チョコレートを用意してくれていたという事は、最初から激怒する気は無かった事は明白である。むしろ、バレンタインらしさを演出しようと楽しもうとしてくれていたのだろう。

なんて事を考えながら、、。

そう思うと本当に申し訳ない事をした気にもなるものだ。

演出を地雷ごと踏み潰してしまったと言っても良いのだろう。そして、怒りを吐き捨てさせる結果を生んでしまったのだから、嫌な役回りをさせた事にもなるのだろう。

そんな役をしようと思って、食事に同席したわけでもあるまい。

そう思うと、こちらに配慮が足りなかったのだろうという自責が生じるものだ。

もしも、地雷を踏まずに過ごせていたならば互いに気分良く帰れたはずなのだという。

そんな苦味走った自責の念であった。

 

ーその後ー

幾度か連絡を取り合った事はあるが二度と会う事は無かったのであった。

むしろ、それが良かったのだろう。地雷を踏むのも、踏まれるのも互いに不本意なのだ。相容れない関係というものは疎遠である方が考え方によっては健全なのかもしれなかった。

 

ー感想ー

何が地雷になるか分からない中での人間関係は、地雷原に身を置く事と大差ない事を学べただけ良かったのかもしれませんね。

根掘り葉掘りと過去を詮索する気もないけれど、流石に第三者や第三者との過去の事象が起因となって誘発されるような地雷は避けようがありませんね。

他人の喜怒哀楽のスイッチなんて分からないものですね。

 

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分からないから分かろうとする。また、簡単には分からないからこそ、理解されたと感じた時には特別に感じれる。そういうものらしい。

 

なに、そのカッコよさげなセリフ…