どこかで見た顔に遭遇すると記憶の断片と不思議な感覚に浸る
日々過ごしていれば、「どこかで見た顔」「どこかで会った事があるような人」と道ですれ違う事もあるだろう。
そう珍しい事ではない。
ただ今回の感覚としては、「何十年も会ってなかった見覚えのある顔のような、そうでないような」である。
平たく言えば、「幼少期の同級生や知人を数十年ぶりに見かけたような感覚」だろうか。
(顔を知っているというよりは、その人が醸し出す雰囲気”空気”に身に覚えならぬ、感に覚えがあるのだ)
顔ならば、幼少期の面影が大きく残っている人も少なくはないのだけれど、
はっきりとした面影があるわけでもない。
ただ、本能的な感覚的に、多分あの人だろう?もしくは、あの人の兄弟だろうという直感が作動しただけである。
「人間の感覚も凄いものだなぁ」と思いながら帰路につく。
ただの思い込みかもしれないのに、何が凄いんだといった感じではあるものの。
その人の雰囲気が直感に働きかけるっていうのは、割と凄いような。
無論、話しかける事もなく追うこともなくお別れである。
よくベタな漫画のシーンにありそうな、パンを咥えながら道を曲がり出会い頭にぶつかって胸キュン(死語?)のようなラブコメ展開は皆無である。
どこかで見た顔のお方が、どこかでそれなりに過ごしている。
(それが十分なのだろう)
それに機会があれば、遭遇するのが人生である。
そんな風に感じなくもない。
そういう風に思っている方が、楽しいものだろう。
割と、幸せな頭の持ち主だと小馬鹿にされてるくらいが丁度いいようにも思わなくもない。
柄でも無い事を柄だと思い込み張り詰めて常識人や人格者を気取っていてもそれが通用するわけでもないものな。
ちょっと不思議な感覚に遭遇した、それが面白かった!
そんな夏休みの作文のような面白味もありかもしれないというお話でした。
(夏休みの作文ほど、書きにくい作文はないかもしれませんね。
その日の内に書いてない自業自得ではあるものの、後で書こうとしても思い出せるわけもなく書く事が辛かった記憶が無きにしも非ず)