お客様は神様というような比喩があるけれど、その意味の解釈の仕方は現代において複数あるんだろうなと思う事を綴り綴り…
お客様は神様!?
率直な感想を述べれば、お客様へのニーズを高める方法が決してお客様の欲求を叶える事だけには有らずと感じなくもない。
例えば、スーパーで同水準のものが他店より割安であれば消費者としては一時的に願ったり叶ったりである。
が、その結果採算が合わなくて行きつけのスーパーが潰れたとしたら、お客様にとっても願わなかったり叶わなかったりとなり得る。
(今まで徒歩5分で行けていたスーパー無くなった事で隣町に足を運ばなければならなくなったなど)
またゲームで例えると、基本無料のソーシャルゲームが「無料で全部利用したい!」という要望を叶えてしまえば経営破綻しやすくなる。
といったようなものだ。
お客様の要望であれ実現できない、バランスのとりきれない「期待」や「要望」は荷に押し潰されやすいという事である。
それは店だけでなく個人にも当てはまる事。
他者(あるいは自身)の理想像を反映させ過ぎると葛藤が大きくなりやすく破綻しやすい。
時には、他者の身勝手を我慢し続けて爆発してしまう事もあれば、自身の理想像と現実の差によって無力感に苛まれる事もあったりするものだ。
「営み」なんてものは、騙し騙しバランスを取りながら過ごす「積木」のようなものだろうか。
これは既に使い古された比喩であるものの、むしろ使い古されるだけあって、そう感じる人も多い象徴でもある事を思うとベタ(そのまま、ありきたり)というのは案外、褒め言葉なのかもしれない。
そう言えば、ベタ褒め(絶賛する)なんて言葉があるくらいだ。
お客様は「神様」であっても「上様」ではない⁉︎
お客様は神様という言葉にも自己研鑽のために客を神様と見立てる事で精進を心がけたという一説がある。
現代においての、
「お客様あってのサービス提供者」
または、「お客様は偉いんだぞ!」
というような使われ方や意味合いとは異なる。
その自己研鑽をお客様に当てはめると「サービス提供は有難い事だ。客としてマナーを違えぬように精進せねば」という感じになるのだろうか?
少なくとも客の意見を無条件に受け入れるために出来たものでは無さそうである。
そう思うと、お客様は神様という比喩はあっても「上様」ではないという比喩がしっくりとくる。(上様が客として現れる事を除いて)
もしも、上様、御上(主君、天皇、貴族、政府などを指す)からの要望ともなれば下々は従う事を余儀なくされるものなのかもしれないが、お客様は神様と比喩されていても上様ではない。
そのためお客様に無条件で従うものでもないという理詰めに至る。
以前、「お客様は神様だぞ!」と上からものを言う客を飲食店で見かけた事があるものの、客だからといって上から目線で店員を罵っていい理由にはならないだろう。(もちろん、店員だからといってお客様を軽視していい理由にはならない)
と、これまたありきたりな心情を抱いた事である。(という余談)
お客様と神様:似てない点と似てる点
※あくまで個人イメージよる神様像です。
<似てないところ>
ちょっぴり面白く思うところは神様と比喩されているのにお金を使うところだろうか。
神様は賽銭や供物によって願われる存在であるものの。
お客様を神様と比喩しようとも消費者である以上、利用した分の代金を払う義務がある。
そう思うと比喩するほど似ていない部分もあるなと感じるところだ。
それに対し似ているなと感じる部分も勿論存在する。
<似ているところ>
それはお客様が時として「教え導く存在」足り得る事である。
クレームやアドバイスやお客様の傾向をデータ分析などを活かせた際には、より良くさを導き出せる事もあるものだ。
現代において「お客様あってのサービス提供者」という意味合いで使われる事も頷けます。
ただそれは無条件ではなく、経営や方針が破綻しない限りにおいてという条件付きなのなもしれない。
最後にサービス提供者の理想像だけを挙げるならば、
お客様の折り紙付き!
だろうか。