SNSと失言?と炎上と疑心暗鬼?

失言とSNS

政治家の「SNSのツブヤキ」は失言のようなものがチラホラと取り上げられている現状、政治活動としてツールが機能しているのだろうか。

取り上げる方も取り上げる方だとか、そういう論争をしたい訳でもない。

各人の都合諸々、何かしらが有るのだろう。

口を挟まずも首を挟まず、疑問程度に手を叩く。

(シンバルのようにではなくぎこちないピアノのように)

あくまでツールが機能しているんだろうか。

という素朴な疑問や感想が無くもないというお話からの雑談である。

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以前も昨今も報道やバッシングの格好の的となっている。

言い方を捻くれば、自ら格好の的に成り下がりに行ってるだけのようなもののようにも見えなくもない。

それとも叩かれ役を担う事で、他を際立たせるというような自己犠牲のような意味合いがあったりするのだろうか…

知る由も無し…

外野から眺めると、議員外として余計な仕事を増やしているのではなかろうか。

それを仕事の内だろうか。

測り用も無し…

わざわざ、する必要のない民間人との売り言葉に買い言葉。

する必要がないように見えるだけで、実はする必要すら有るのだろうか。

(自身とは大きくかけ離れているであろう頭脳や地位の持ち主なのだろうから、そう言った視点があるのかもしれない)

そんな事すら素直に思う。いや、疑心している。

少なくとも、他人の価値観すら、立場すら、読み切るなんて困難だ。

自分ですら見きれてない。
(むしろ枠から見切れて知覚してない失点も山程ありそうだ)

(もしかしたら素敵な自分も見切れて見えてないかもしれない。と、希望的観測くらいは付けておこう)

分かった気になるのは非常に容易い。

(場合によっては異常に困難だ)

「人は思い込みの中で生きている」

そんな辛辣な意見もあるように

それが主観なのか、客観なのか、規範なのか、妄想なのか、はたまた何かなのかは

様々なのだろうけれど、

見えているようで見えていない。

見えていないのに見えた気になる。

見えないままに見えない。

見えるままに見えている。

また、

見えているのに見えない気になる。

そんな事もあるのだろう。

もしくは見たくない気、あるいは見たい気といった視点もありそうだ。

全くもって、こんがらがる。

(そして、この辺から脱線していくのだろう雑談が雑脱に)

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一種の疑心暗鬼…

鬼ではないので疑心暗人。

(まるで人を信じない根暗っ子みたいなニュアンスだ)

そもそも疑心暗鬼とは、疑心故に鬼・亡霊が見えたように何でもない暗闇を恐れる様だ。

つまり何でもない事を疑い、そして恐れる意味合いである。

言ってみれば、予期不安の一種?だろうか。

なので根暗故に人を信じれなくなるのとは、似ているようで違う。

(全く違うかもしれない)

根暗から疑心が生じ恐れているのだとしたら違わないかもしれない。

兎に角、人である(兎のようにピョンピョン拍子とはいかない)

勿論、とんとん拍子ともいかない。

全くもって、こんがらがる。

いや、転げ落ちる。

面白いことに反動で反対側に転げ上がる事もあるだろうか?

人はそれを逆行?反抗?と呼ぶのだろうか。

「愛」が「憎しみ」へ変わるが如く。

それを面白いと言ってしまうのは失言かもさはれない。

つまらない事に、反転してしまうと訂正しよう。

(オセロのように、あるいは鏡のように)

話を戻すと、

転げ落ちては振り出しに戻る事は、

答えのない事を考えるときは有りがちのがちだ。

ガチ”本当”で有る。つまりは有りガチだ。

振り出しには戻るが、時間は戻らないんだぜ?

(そう思うと不毛感溢れる失笑を禁じえない)

(気取ってみた発言にも右に同じ)

(横書き文だから、上に同じかな)

いやはや、言葉をいじっていると何が言いたいのかさえ分からなくなってきた。

謎解きには不向きなお粗末な頭である。

裏の裏の裏くらいまでいくと、もう混乱する

(裏だけれど)

疑心暗鬼らしく本当に裏なのか?を問いたくなる。

架空の名探偵たちのような頭の回転率どころか…人並みすら怪しい。

そんな能力の低さを吐露したところで、
いや、お披露目したところで虚しさくらいしか得ない。

そろそろ纏めに入ろう。ざっくりと雑に雑談らしく。

きっと、SNSのつぶやきをつぶやいたとして

言いたい事呟いただけだしな

別に反応はいらないかな

みたいな性格ならば、つぶやく自体で機能が機能していると言えるだろうけれど。

立場ある身でも、それはつぶやく自体で機能しているのだろうか…

その後の処理に言いたいだけの事を発散した以上の労が待っているとしたら

なんとも割に合わない焼け跡だ。

(別につぶやきのやきは焼きじゃないのに)

いや、焼きが回っての事だとしたら、案外、遠からずだろうか。

少なくとも意図的という線も無くはない事思うと遠くなる事例もそれなりにありそうだけれど、触れぬ火事に火傷無しって意見なくはないだろうし。

(火は直に触れなくても熱で火傷する事もあるくらいだ、そう思うと炎上と呼ばれるトラブルには近づかないというのも理に適っているかもしれない)

そう思うと、敢えて、自ら、絡みにいってしまう事は

火に飛ぶ蛾という皮肉じみた比喩も遠からずだろうか。

(少なくとも光と間違えて飛び込む蛾の習性とは動機が違う時点で火ではなく否なるモノ)

むしろ闇に”病み”に囚われて、野次に囚われてストレスは増え身動きが取れにくくなっていく事を思うと

蜘蛛の巣に絡めれた蝶という比喩の方が近いのかもしれない。

では、蜘蛛は何だ?

その物事によって利を獲得するモノの事だろうか。

そう思うと首を突っ込み、絡んでいるようで絡めとられ蜘蛛に貢献している事となる。

そう思うと、踊らされている。

(蝶だけに舞っている)

そして、人らしく参っている。

兎に角、略すと人参だ(兎だけに)

さて(何がさてなのかも分からないが)、若返り効果のあるβカロテンが豊富な人参ならばその効果に舞い上がるかもしれない。

けれどそれが争いによってストレスという効果を得えながら、踊らされているともなれば気分は舞い下がるばかりだ。

舞い降りるならば耽美ささえ感じるものの、
舞い下がるだものな…

(ガッカリ感がヒシヒシである)

そう言うのを小耳にするだけでも
または、お目々にするだけでも

割と舞下がるものがある。

疑心暗鬼の暗闇よりも、暗いものが世には溢れている。

そんな風にも感じなくもない。

明暗のバランスを取れないだろうか。

それは名案だ!

なんて駄洒落くらいが関の山かもしれない。

山火事…

闇を照らしているのか、闇を際立たせているのか

炎上の場合は後者かもしれないな。

そんなこんなを思いながら燃え尽きてしまったよ…書き尽きてしまったよ…

少なくとも炎上を光とは呼びたくないな。

逆行ならぬ逆光だ。影が際立つ。