石橋を叩き過ぎて壊す

「石橋を叩いて渡る」:用心に更に用心を重ねて慎重に行動する様のこと。

という諺があるものの、

 

「石橋を叩き過ぎて壊す」:用心を重ね過ぎていては、好機を逃し、やがてその重みや衝撃に耐えることができず渡れたはずの橋さえ壊してしまう様。

(諺ではありません)

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そんな風に感じるようになったのは、自ら壊してきた橋を底から仰ぎ見ているからだろうか。

 

例えば、保身のため、自己防衛のために引きこもるという行為すらも引きこもる場所が密室ならば、やがては窒息してしまうのだろう。

更に衰えてしまうと、できた事も次第にできなくなっていくものでもある。

 

それは、むしろ自己防衛というよりは自己破壊や自虐と呼べるのかもしれなかった。

 

そんな風に「石橋を叩き過ぎて壊す」もまた、同じ似たようなものなのかもしれませんね。

 

慎重に行動するに越した事はないのですが、煮えきらない臆病さは”慎重”とは呼べないという事なのでしょう。

かといって軽率に行動してしまうと失敗しやすいというのも事実でもある。

例えば、DIYで見られる「もう少し手を加えてみよう」、「もう少し修正してみよう」。

その「もうちょっとくらい…」の結果、やめておけば良かったと後悔する程の惨事に踏み込んでしまう事は珍しくはないものです。

 

やはり、多少欠けている事を許容できる能力や才能というのは、生きていく上で必要なスキルなのでしょうね。

 

多少、欠けている事?

完璧を求め過ぎず、警戒を怠り過ぎず…

もっと平たく言ってしまえば、良過ぎず悪過ぎず並が吉。

どこかで聞いたセリフである。

大なく小なく並がいい

出典:並盛中学校歌-家庭教師ヒットマンREBORN!

 

良いことがあった後は、下がりやすい。

また、悪いことがあった後は、上がりやすい。

どこかで聞いたような慰めのような台詞である。

あくまでイメージ的な可能性なので一概には言えるわけではないのは言わずもがな、泣きっ面に蜂なんて諺もあるくらいなのだ。

余裕がない時には、尚更、負の連鎖が生じやすいものです。

体が弱っている時に周辺症状が出るようなものも似たようなもののように感じますね。

二次被害に見舞われかねない石橋叩き過ぎて壊すくらいならば、石橋飛び越えれるほど足腰鍛えた方が健全というものかもしれませんね。

渡れる力があるなら、確かめる必要なんてないものです。

つまり、渡れるだけの力の欠如なのでしょう。

落ちた時の立ち直り方を知らない故に、、、挫折からの這い上がり方を学んでこなかった故に、、、

そんな不安が石橋を叩いて確かめてしまう回数を増やしているような…

 

そんな気がしてならない散歩道の妄想であった。

You[We] need to be extremely cautious[wary] before doing something.