実名公表反対の被害者遺族の気持ちが汲まれない事への不信感…

…とある事件の被害者の実名公表の記事を目にしてしまいました。

普段は正面から受け取るだけ悪感情が強化されてしまうような報道を避けるようにはしているものの共感しやすいニュースが飛び込んでくると平静でいるのは難しいものですね。

下記は、あくまで数ある意見の中の1つに過ぎない個人的な感情論である事を予め明記しておいたいところですが、

流石に、公表に反対の遺族まで巻き込んで公表したというのが事実であれば狂気ですね。というのが個人的に素直な感想です。

公表しても構わない遺族への配慮ある報道なりビジネスなりは双方で決めればいい事ですけれどね。

それに反対派まで巻き込まれるのだとしたら…どうかしてますよ…ほんとにね。

遺された者は、複雑な気持ちを背負いながら無かった事にはできない記憶と葛藤していかなければならない。

当事者や遺族では無い立場で分かった気になる事は傲慢かもしれませんが、

大事な人を亡くした事がある人ならば少なからず理解は示しやすいはずです。

その抱え難い葛藤と向き合っていかなければならない事が、どれほど過酷か。

その上、更に心に余裕が無い状態で矢面に立たされる事になるような展開ですよね。

氏名の有無によって事実や命の重さが変わるんですかね…

今のところ第三者として得たものは、我が身や身の回りに同様の事が生じても、そっとはしておいてくれない前例になってしまったかのような…そんな不信感くらいのものです。

そうやって人の悪感情ばかりを育て、

被害者や遺族の負担増やし、

それで心身を追い込まれたら誰も責任取れないじゃないですか…。

と月並みなことを感じます。

加害と大差ないのではとさえ思えるほどにね。

無論、府警についても法など考慮して公表に踏み切ったのだと思いたいですけれどね。ただ、それが遺族を守れない権力や規則だというのなら悲しい限りですねという感情論です。

そこで食い止めれられていたらな…とタラレバ論を事後に言っても何も変わらないのですが、そんな思考が自らに過ってしまう事から見ても冷静とは呼び難いのでしょうね。

結局、行き着くところは法の問題ではなく人の問題なのでしょうね。

勿論、このように感情論を露わにするだけでは物事が好転するわけではない事は自覚していますよ。

ただ、その感情論も自己を保つ為には必要なんですよね、きっと。例えば、泣いても強くはなれないけれど泣く事で気持ちを安定させる事があるように。

…。

さてね、あまり過激な事も無責任な事も言及できませんし、不愉快な感情を垂れ流し続けても悪感情を強化されてしまうだけなので頭を冷やしていきたいところではあります。

やはりね、苦情や今後の為を思っての意見などは然るべき場所へ一報するのが第一歩ですよね。

今後、このような被害者や被害者遺族を追い込むような矢面に立たせるような展開が減る事を心から願います。