フィギュアケースを100均一に買いに行くと駄菓子を食べたくなる事があったりなかったり

フィギュアケースを100均一に買いに行くと駄菓子を食べたくなる事があったりなかったり

レジ前に並ぶ駄菓子類、2個100円(税抜き)のブタメンがこっちを眺めている…(ような妄想)

ガレージキットを初製作という事もありフィギュアケースを抱えていた私。

そして、つい伸びる手、抱えるものの中にフダメンが2匹ほど増えていた。

やはり会計も100円(税抜き)ほど増えた。
(予想外の衝動買いに胸踊る、もとい豚さんに食欲を踊らされたわけです)

だが、後悔はない!だって駄菓子って素晴らしいんだもの。(漫画やアニメにもなるほどに)

近年では、安価で子供でも嗜めるお菓子という意味合いが強いとは言うが、無論、自身の学童期もそういう意味合いだった。(回想、否、妄想に浸り出す)

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そう、そこは学童児の楽園のような溜まり場だった!
(あの時代、あの世代、町中にパラダイスが点々と存在し大半は女帝”屋主”が君臨していた)

その楽園に魅了された子供たちは皆リピーターとして足を運ぶようになっていった。

紐で束ねられているシールやカードの袋を引きちぎる時のワクワク感…

(おばちゃん二枚引きちぎってしまったよ…どうしよう…というアタフタ感)

ヤッターメンやグミやガムの当たりくじを集めては交換するお得感に酔い…

たまに訪れる諭吉持ちの巨人が箱買いしていくのを指を咥えて眺めたりしたものだ…

(子供たちが楽しみにしていたものだからと箱買いはごめんねと断る姿は、まさに民を思う女王様のように見えた。一方で、箱買いを許す店主は金銭に魂を売った魔女のように感じたものだ)

…歳を重ねてわかる事、綺麗事では経営は成り立ちにくい…

近代化に伴い過疎化していくほどに世の中は流動的である…時の流れは時に残酷である。

町中に点々とあったはずの楽園が段々と溜まり場ではなくなり、呼応して品薄になり、次第に頽廃していく様を週1〜2のペースで足を運んでいた駄菓子好きは知っている。

(屋主と自分しかいない店内の物静けさ…)

なんだかな…人の繋がりが希薄化し続けているように感じ切ないものがあるものだ。

(希薄化によって他人へのSNS等での八つ当たりしやすい傾向にあるのかもしれないという妄想)

それらを時代ならではの営みや、一つのコミュニケーション方法なのかもしれないと仮説を立ててみると良し悪しは測り兼ねるものだけれど、、、

なんだかな。なんだろな。

(あ、そうだ、ケースを買いに来ただけだった。と、ふと我に帰る)

…そんな事を過ぎらせながらレジを後にし自室にてフィギュアケースに穴を開けるのであった。

100均のフィギュアケース?コレクションケースに一工夫