理解力がない人と話すと疲れるのは全力投球のし過ぎ!?


会話において、理解力のない人を話すと疲れてしまう、あるいは解釈を誤って呆られてしまうという事がしばしば…。

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余談

昨今はネットの普及により文字でのやり取りも多いため、表情が見えない分誤解を招いてしまうと言った事も少なくはない。

ただ、文字でのやり取りが実際に言葉で喋るより劣っているかというとそうではない事はフォローしておきたいところである。

特に反射的に返してしまいやすい言葉に比べて、文字は自身で確認してから発信しやすい点で優れている。

それに対して欠点を挙げると、喋るよりもやり取りに時間がかかるという事だろうか。

良く言えば時間をかけれるという事でもあるので捉え方によりけりなのだけれど、誤解を招きにくいように1から10まで説明して相手に送ってみると

「長っ!」と言われてしまいやすい昨今…

せっかく時間をかけたにも関わらず、ダメ出しを食らったような気分を味わった人も少なくはないのではなかろうか。

それについては、分からなくもない。というよりは、むしろ分かる。

言ってみれば参考書や書類をドンッと目の前に置かれて「読んでね」と勧められている気分である。

ただ、懸念としてインスタントやコンビニ化が一層進むであろう現代においては、尚更、手間のかかるものは許容しにくくなるかもしれないと思わなくはないものである。

それによって意図とした言葉や文字が他者に、より通じなくなる事も増えるかもしれないし、増えないかもしれない。

本題:何故、理解力がない人と話すと疲れるのか

さて、ここからが本題。(余談「長っ!」)

なぜ理解力がない人と話すと疲れるのかと言うと、

それは相手が悪いのだ!

※相手のせいという意味ではなく、「今回は相手が悪かったな」というように使われる相性が悪いという意味合いの方です。(こういう誤解を生じやすい言い回しは割と多く在ります)

そもそも論を言えば、誰が悪いと決めなくていいものですが、決めてスッキリするのなら自由なのかもしれません。

けれども多くの場合、相手を悪者にすると売り言葉に買い言葉が勃発しやすくスッキリどころか、より一層のオッコリ(怒)になってしまいがちであるのでお勧めはしたくないところ…

そしてその相性の悪い相手に全力投球してしまっている事が疲労度が強い要因かもしれません。

≪それをどうにかしたいと悩んでしまう場合≫

まず初めに認識しておきたい数点。

・言葉や文字の意味を完璧なまでに把握して使いこなしている人は、そこまで多くはないので誤解や語弊は付き物(あるいは憑き物)である(誤ったまま覚えている場合、他国語を誤訳して覚えている場合など)

(自分自身が語彙足りないな、熟語の意味ですら感覚としては解っていても明確には説明できない物や、そんな言葉知らなかったよ、間違って覚えてたよ、という事がしばしばである)

・自分の都合があるように他者にも都合がある(自身の都合を主張し過ぎるという事は、利害が一致してない場合などによって他者の都合を侵しているとも言える場合がある)

・言いたい事は何かをはっきりと目的も持って、主観・客観・憶測(想像)を分けて話す(話していると一緒くたにしていまいがちであるものを整理すると伝わりやすさを増します)

(とは言いましても、理屈ではわかっていてもハードルが高く感じるため個人的に心掛けやすいのは次の項目である

・「言いたいだけ」なのか「分かって欲しい」なのか都合をはっきりさせる。

(言いたいだけの事は、言えた時点で目的達成である。また他の事を二の次にするために自己都合を明確にしておくことで目的以外ものを深追いを避けるためでもある)

・全力投球しなくていい。

(理解されたい場合は質の良い言葉を選ぶことは必要になってきますが、受け取り方や解釈は個々違うため全力を注ぐ場合は相手を選ぶのも1つである)

・理解力が無い相手よりも理解する気が無い相手の方が多いかもしれない

(自己都合や自身の価値観が優先されやすい故に、最初から理解するつもりすらないという事も往々にあり得るため、分かってくれる気がそもそもない場合に切り上げる事も選択の1つ)

といった具合に、たとえムキになってもそこから離脱しやすい理由を予め用意しておく事も1つの対策だと感じます。

≪己の価値観や感性が通じない相手に全力投球している故の疲労感≫

また、相性が悪い相手に全力投球している自身の問題に着目してみるのもいいかもしれません。

特にプライベートに置ける対人関係においては、話してる内容が上手く認識されなくても生活に支障を起こさない雑談が多くあります。

その雑談でオッコリし過ぎても疲労がモッコリ蓄積していくため、話の内容によっては全力投球どころか脱力投球くらいでいいのかもしれません。

口論になると伝える事より否定に溺れがち、言い勝つ事に必死になってしまいやすく、言い勝ったところで、得るのは一時的な自己満足と、言い負けた側からの恨みというサイクルは、よくある話。

また、言い勝てば勝ちという事でもなく、言い勝とうが根本的に問題解決に至らないのであれば共倒れである。

なので心掛けとしては「理解されたい事には、分かりやすい言葉を選び実際に起こっている事実と思っている想像を整理して話す」、「言いたいだけの事には、否定されても戦線離脱の一抜けた」が良いのかもしれない。

案外、感情を煽られ自ら戦線に立つ故に矢面になり、目的を見失った上に退いたら負けのような錯覚に囚われる事は多い。(裏を返せば、目的をハッキリさせずに立つから翻弄されやすいのかもしれません)

なるべく解りやすく言っても通じないのであれば、それはもう相手が抱える問題と言えるのかもしれません。

それは相手自身が向き合う事なので全力投球し続けてバテる必要は無いのでしょう。

結局のところ、自身が疲れにくくなる方法を取る事が何よりの改善策という事になるのでしょうね。