普段から習慣的に使用している人もいれば、そうでない人もいる。
そんなありふれた言葉。
【食】味覚を上げるワード?
もったいつけずに言うと、それは「いただきます」の6文字だ。
あくまでも体験談なのだけれども、小学生時代に給食の時間に発言していた人も多いのではないかと思われる「手を合わせて、いただきます!」。
むしろ、私はその時以来あまりその言葉を口にしたことがなかったように思う。
家族や友人との食事の際にも周りも言わない環境で、特に意識することなく自身にとっても言わないのが当たり前の習慣が身についていたのだと思う。
ではこの言葉はどういう意味を指す言葉なのだろう?個人的には食べ物に対する感謝や作り手への感謝というイメージが漠然としてあるのだけれど。
”いただきます【戴きます】出された料理を食べ始めるときの挨拶
(広辞苑)”
やはり、食事の際に使用する言語という意味合いが強い言葉のようだ。
その挨拶を長らくしていなかったのだけれど、最近になってようやく言うようになりました。
それまで食事というと私にとっては作業感が強く、あまり食に興味がなく食が細い感じでした。ただ生活において食を楽しめないというのは、いささか損をしているのではなかろうかと。
美味しい!と言いながら食べれる人や大盛りを食べれる人を羨ましく思うこともしばしば…
自身に全く味覚がないわけでものなく、食べるけれどただ食べているだけで満足感も低いし、おかわりをしたいとも思わない。
消費したエネルギーを淡々と補給しているだけ、そんな自分が味気ないなと。
何かないかと考えたときに、そう言えば食べて当たり前になってるなとか、挨拶してないなと思うようになり、
じゃあ「いただきます」と言ってみよう!
と実践してみたところ、以前より味覚が上がったように感じて少し驚いた。
(※あくまで個人的な体験談ですので万人に同様の効果があるのかは不明)
勝手な考察の範疇ではあるが、
- 全く言っていなかったので、言ったことに刺激を受けた
- 今から食べますよ!という合図となり体が食事を意識した
- 食への感謝が影響した
など考えられえるのだけれど、やはり憶測の域は出ない。
ただ、筋トレとかストレッチでもよく聞くことだけれど動かす部位を意識すると効果が上がるという説があるように、味覚や食欲にもそういうものがあるのかもしれないなと、根拠はないけれど淡々とした作業に感じることが軽減したことは喜ばしい限りだ。
けれど、「いただきます」ということにも多少難点がある。
それは難点というより、それまで口にしてこなかった身の羞恥心とでも言うだろうか、周りが言っていない環境でも言うと気恥ずかしさが少々。
その結果、今でも若干以上の小さい声で発声していることもしばしば^^;
それでも周りが言わないからと言って、せっかくの食事の時間を単なる作業にはしたくはないので言い続けていくけれど。
普段から習慣づいている人からみれば「いただきます」と言うのは当たり前でしょうと思われる方もそれなりにおられる中で、あえてそれが当たり前ではなかった私の体験談を述べてみました。