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≪お考え事*こんな感性あってもいい≫ 【趣味】

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何かを上手くなるってのは泥団子作りのようなものだろうか

何かを上手くなるってのは泥団子作りのようなものだろうか

小さな種となる芯の泥の周りに別の泥を纏い大きくしていくように、

初めは、小さく儚いものだ。

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それを転がしても、身につく泥も僅か、いきなり大きくなりはしない。

ひたすら転がして円周を増すほど、身に纏える土の量を増しては大きくなっていく。

そして、肥大しすぎるほど割れやすくもなる。

これもまた成長した組織が内部から腐敗しやすいような営みの一部のように感じなくもない。

程よい大きさで綺麗に仕上がった泥団子に艶を出すためにサラサラの砂をかけてはピカピカにしては、宝物のように保管していた。

それでも乾燥とともに割れてしまう事もしばしば。

どんな事でも失敗は付きもの、失敗をしないような、失敗はいけない事というようなすり込みによる葛藤は抜けきれずとも、

失敗の仕方を知っただけ、まだマシだろうと思えるようになっただけ少しは肩の荷が下りるものだ。

そして、また泥団子を作っていく。

何かを上手くなるには、それに触れている事、疲弊したら休む事の繰り返しである。

苦手意識や得意意識というものより、とにかく触れている事なのだろう。

浸っていれば、染まっていくものだ、手が泥色に、泥をこねやすい泥付きの手に。

先の苦手意識や得意意識は、結果論である。

上手くいくいかなければ苦手意識になるかもしれないし、上手くいったときに得意意識へと掌を返すかもしれない。

そんな曖昧でフラつく感情に右往左往と振り回されるのが面白味というやつなのだろう。

ある時、「つまらなさ」やってが来た。

それは、楽しみの予感とも言えるのだろう。

良い事があった後に、気分が元に戻ると寂しさを感じるように、下がった後に上がる事も珍しくはないものだ。

そうやって、

不満を垂れたり、

喜んだりしながら泥をこねたり、

手をこまねいたりしながら泥団子を作り上げていく。

どれだけ納得のいく素敵な物を作り上げても、あの時、何個も何十個も作ったであろう泥団子は一つとして残ることなく朽ちている。

そう思うと、

初めも終わりも儚いものを積み上げては、砕けていく営みの中に上達があるというような至極当たり前な事を黄昏ているだけである。

(それでも、それを時に喜怒哀楽や面白味と表現できる事は素敵だろうか)

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プロフィール

◇ローマ字検索で知床ですか?と確認されてしまう白トコによる趣味で作った雑記かつ雑綴ブログです。

色々と四苦八苦といったところですが至らぬ点は温かい目で流して下さると幸いですm(._.)m

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