別れ話を同意した途端にブチ切れられる

言葉があってもトラブルは生まれるもの。

人は同意したからと言って怒らないとは限らない。

概ね当事者の解釈の問題であるところが大きいという事を綴り綴り…

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別れ話の炎上プロセス

別れ切り出した側:「君にはもっと良い人がいるよ」

同意した側:「そうだね」

別れ切り出した側:「はー?」

というような炎上プロセス。

相手の要望通りに同意したのに怒られるというような事は、人間世界じゃチラホラあるものだ。

食事を何をするかを決める際の

A:何食べたい?

B:何でもいい

A:じゃあ、焼肉!

B:焼肉はちょっと…

A:じゃあ、中華料理!

B:中華はちょっと…

A:何でもよくないじゃん(面倒くさい)

というやり取りもまた似たようなものだろうか。

おそらく別れたい側には、別れ際のビジョンがあるのだろう。

当人にとっての理想の別れ方、もしくは別れる気は無いけれど駆け引きによって気持ちを確かめたい(引き留めてくれるであろう)

というような淡い期待ならぬ愚行。

さてさて、駆け引きと理想の別れ方に分けて綴っていきましょう。

駆け引き

試される側にとっては、試されるという事自体がそれなりに負荷(ストレス)を強いられるものだ。

それを快く感じない人が多いのは自然である。

それすら許せないのは器が小さいと言われる事もあるが、

相手を試さないと信じれない側(あるいは気が済まない側)の狭量さを棚上げしている事に自覚が無いのは少々以上に残念である。

例えば、罠を仕掛けられて引っかかった人が
怒る事や苦笑いする事はあっても
罠仕掛けくれてありがとうと感謝する事は無いだろう(バラエティじゃあるまいし)

他の言い方をすれば、

抜き打ちテストで歓喜する人は、そういないようなものだという例えに相違無い。

いざ、抜き打ちテストをされて歓喜する人がいるとすれば腕に自信が有り余ってる人くらいではなかろうか。

つまり、正解を出せる自信がある者だ。

恋愛で言えば、「俺(あるいは私)はフラれるわけがない!愛情確認するための引っ掛け問題なのはお見通しだぜ!」

と言わんばかりの自信に満ち満ち溢れている人ならば喜べるかもしれないという事である。

実際に抜き打ちテストが訪れた際の事を想像してみて、

「試される時がやってきたぜ!ヒャッホーゥ」

と感じれるか

「試されるのは気分が悪い」

と感じるのか

はたまた、その他の感情を抱くのかは分からないが、

少なくとも自らを参照すると「ヒャッホーゥ」という選択肢はないようだ。

これが抜き打ちではないなら感じ方は変わってくるのだろうけれど、概ね別れ話なんて抜き打ちのようなものだ。(デート直後の別れ話なんてザラにあるものだ)

ただ、嬉しい意味での告白も概ね抜き打ちである事を思えば、抜き打ちに対する負のイメージも払拭しやすいだろうか?

あーだこーだと並べてみたものの、
駆け引きにおいて、自身(あるいは相手)は試されるのが嫌な人間か、そうではない人間かという事くらいは認識しておいた方が良さそうだというお話である。

理想の別れ方

別れる側が別れ方を理想を抱くのは自由だけれども、それが上手くいかなかったからとキレられてしまっては、

「そうだね」という同意を破棄し、「君のそういうところに冷めました」と言葉を改めたくなる人も一定数おられるのではなかろうか。

別れを切り出した側を害さない模範解答って何だろう?

癇に障らないような同意?

「別れは残念だれど、分かりました」

とかだろうか?

よもや、持ち上げられて別れたいなんて事を願ってる人はおるまい。

もし、いたとしたら受けてからすれば付き合いきれない(別れ話のみならず)というのが自然であろう。

想像してみても「あなたこそ高嶺の花でした」と本音から言ってくれる人がいるとは考えにくい。

これを苦なく本音で言えるならば、人格者を超えていそうである(素晴らし過ぎて引いてしまうほどに)

言い換えると、嫌な出来事に対し心から喜べるようなものである。

それは、悟りの境地どころか一種の狂気ではなかろうか。

ただ本音を伴わない社交辞令として使うならば、相手をおだてる事が重宝する事もありそうだ。

相手をおだてた別れは吉or不吉

相手を当たり障りなく煽てて別れたならば、炎上別れよりは恨まれるリスクは低そうなので「吉」のようでもあるが、

おだてた事によって、「この人なら戻れるかもしれない」と思われる可能性が上がるかもしれない事を考えると「不吉」である。

振られた側にとって、振った相手が戻って来ることを「吉」と感じれるケースが挙げるならば

・よりを戻したいと思っている

・振り返したい

だろうか?

戻ってきやすい環境にしておく必要があるのは関係を戻したいかor戻ってきたところを返り討ちにしたいかである。(勝手な偏見)

別れ際に言い争いをして泥沼な上にやり返した感よりストレスの方が肥大しやすい事を思うと、時間を経てから頼られた時に梯子(はしご)を外す方が恨まれにくいように感じなくもない。

それは梯子の外し方にもよりけりだろうけれど、「ごめんなさい」という一言で一蹴する分には当たり障りが低くくて済むだろう。(という憶測)

なんで?と聞かれた際にも「今の生活に満足してるから」と返すのが無難だろうか。

ただ、一蹴するためだけに付き纏われるリスクとも言える「戻ってきやすい別れ方」をする事はエネルギーの無駄使いのように感じなくもないだけに散々綴っておきながらも何とも言い難いところである。

まとめ

そう思うと、別れ話を切り出されたならば、

「分かった」という一言のみで十分ではなかろうか?

そうだねでもなく、はーいでもなく、了解でもなく、「分かった」である。

初めから正解なんてないものの、当たり障りにくかろう返答としては重宝しそうである。

冒頭文に当てはめてみても

「君にはもっといい人がいるよ」

「分かった」

それなりに成り立ちそうである。

少なくとも「そうだね」よりは噛みつかれずに済むのだろう。

それは「分かった」ならば、「そうだね」(君より良い人いるもんね)というような嫌味として解釈されにくいという事である。

「何故振られる側が振る側の癇に障らないように言葉選びをしなきゃいけないんだ」とは思わなくはないものの、巻き込まれたくなければ致し方ないだろうと言われれば返す言葉もない。

振る側の勝手な別れ方のビジョンのために振られた上に振り回される振られる側。

所謂「泣きっ面に蜂」というものだろうか。

ふと、ビービー泣くという擬音と蜂は英単語でBEEという共通点に気づいてしまっただけに苦笑いしてしまった事は綴り流しておくとして

なにはともあれ理不尽なキレられ方をされたら嫌だなというフィクションでしたφ(°:° )綴