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自分を姫と呼ぶ・自分の子どもを姫/王子と呼ぶリスクおよび呼称ジレンマ

「姫」というネーミングをチラホラと見聞きする機会や「姫体質」「姫マインド」という言葉が台頭してきていたようにも感じなくもないですね。

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姫・王子の呼称について

「姫」について時々耳にするもののは冒頭で述べた通りですが、

姫に対して王子体質、王子マインドって聞いた事がないのだけれど、

言ってみれば、鍋奉行、内弁慶、亭主関白みたいなものだろうか?

大きな違いは、自身の事を奉行・弁慶・関白と呼ぶ人を見かけないで事ある。

そう思うと一層「姫」の呼称率が高く感じるものだ。

そもそも自分の事を姫と呼ぶ際、本当に貴族や王族ならば間違ってはないのだけれど、

実際のお姫様は自身の事を姫と呼ぶのか?という疑問を抱く。

(勝手ではあるが、お姫様の一人称は”わらわ”のイメージが強いのだけれど現代のお姫様は何という一人称なのだろう?”わたくし”だろうか?) 

幼児期ならば、お姫様が「姫は〜」という一人称を使用するイメージも出来ますが、いつまでもその呼称を据え置くのだろうか?

もしも殿様が「殿は〜」、王様が「王は〜」という一人称だったら何だか残念ではある。

現代ならではの一種の造語・現代語という捉え方

造語というよりは、現代語だろうと称する方が近しいだろうか。

現代においての本来の意味とは異なる使用法によって派生していると捉える事もできるのだろう。

例えば「ヤバイ」と言う言葉を「危険」ではなく「凄い」のような意味で使われてるのと似たようなもの。

そう解釈すると「姫」が貴族ではなく、庶民に当てられても不思議ではない。

それを受け付けない人も多く見られるとは思います。言葉の意味が多様化するほど語弊や誤解を増やしているとも言えますからね。

「姫/王子」呼称のリスク

極端な話になっていくが、庶民であるのに自分は貴族だと思い込む人が居るとすれば同一視による危機感を感じなくもない。

身分同一性なんて言葉は無いだろうが、貴族では無い事を分かりながら見栄を張っていたり、ネタとして使っているなら問題なくとも、自分の出自が正確に認識できていないともなると本人自体が葛藤に苦しむのではなかろうか。

また、そうでない場合においても願望と現実が混同していく内に妄想に取り憑かれる事も無くはない事を思うと「自身を姫と同一化する」事は精神衛生上、健全とは言い難そうである。

特に庶民の親によって「姫」として育てられた子どもが、それを「実際の姫」だと認識してしまった場合、物心ついた頃にジレンマを起こすリスクもある。

本来異なるものを同一視してしまいかねない環境に子どもを染める事は危険度が高そうである。

大人は自分の子どもを「貴族の姫」では無いと認識して接している事が多いだろうけれども、子どもがそれをどう認識してしまうかというのは測りかねるところだ。

姫のように可愛いと言う比喩で扱う事と

姫そのものとしての扱う事には

大きな差が生じている。

また、その他にもリスクはあるもので、身近にある事を挙げれば「高貴なお姫様」ではないと認識している人から

「姫じゃないだろう」
「姫という容姿じゃない」

などの風当たりを受けやすい環境を伴う事だろう。

それは人間は、自分がしないであろう事をしている者に否定的な意見を挙げやすい傾向があるためのバッシングだと思われるが、少なくとも容姿と良さと姫であるかどうかは関係なかろう。

この件についても自身を姫と呼称するのは自由ですが、子ども(あるいは他者)を「姫/王子」と呼称する事でバッシングを受けやすい環境を子ども(あるいは他者)に与えている事は愛情と呼べるのだろうか?

例えば彼氏に姫扱いされて「周りの人から白い目で見られるのが辛い」「恥ずかしいから辞めて欲しい」と感じている人も少なからず存在している。

また子どもに対して「姫/王子」と呼称する事で先に挙げたように同一性を乱す可能性や、バッシングを受けやすい環境を敷いていると捉えると愛情の使い方が正しいのかは首を傾げたくなるところでもあります。

可愛い子には旅をさせろというように、「バッシングに屈しない精神力を鍛えよ」という意図があるならば1つの教育法なのかもしれないけれど、そんな事を加味して使っている人が果たしているのかどうかは怪しい。

呼称する事の良し悪し

上ではリスクについては数点挙げたものの。

その良し悪しについての判断は個々の自由である。

特に他人の家庭事情や個人の価値観に対して否定的に干渉しても物事が好転するわけではないため自己都合による良し悪しの判断を他者へ強要する事はお勧めできないところでもあります。

例えば、他者の子どもの事を思ってその親の教育方針を否定した挙句、子どもが家庭に居づらくなってしまっては本末転倒である。

それ故に無責任な良し悪しの基準は他者に押し付けないのが懸命なのでしょう。

必要な事はリスクを踏まえて自分ならばどう感じるか、どうするか…

自分はどうするかの判断

先に挙げたような視点から、必要以上に自身を貴族のように呼称する人に接したいかどうかを考えてみると「極力、巻き込まれたくは無いな」という感想を素直に抱きます。

けれども、それは呼称する人が悪いというわけではなく自身の価値基準に合わないという自己都合との不一致である。

そのため別に姫体質でなくとも合わない体質の持ち主と接する時は「巻き込まれたく無いな」と感じる事でしょう。

(巻き込まれたくないさを比喩すると、飲食店に行った際に連れが店員を見下したような態度を取り始めた場合のような感じだろうか)

とは言ってもだよ?呼称している相手によって「この人なら不快には感じない」というケースもあり得る話。

それは誰しもが実際に対象となる人を観て選別しているという証拠でもあるが、

それ故にあの人は良くて、この人は嫌なんて事が有り触れているのだ。

結局は、各々の都合が尺度というありきたりな話となる。

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呼称とのジレンマ”葛藤”/事例パパ・ママ

自身の事だけを例に挙げると、

母親の事は「ママ」から「お母さん」と呼びなさいと矯正されましたが、

父親の事は矯正される機会がなかったため長い間「パパ」のままでした。

そのまま思春期を辺りになって「パパ」と呼ぶ事へのジレンマを感じるようになり、幼い呼び方に気持ち悪さすら感じるようになった事を覚えています。

結果、自身の意思よって「親父」「父さん」と呼び方を変えました。

初めは変えた事に違和感を覚えましたが、ひたすら使い続けるとそれが当たり前なっていきます。

呼称を変える事をについては、
一体どちらが良いのか判断をし兼ねますが、ジレンマを起こしたり、冷やかしを受けないためにも大人らしい呼び方で慣れている方が良さそうにも感じなくもないです。

それと同じ事を、親に「姫」や「王子」と呼ばれ続け自らをそう呼称するようになった子ども達にも言えるように感じます。

それについても物心ついてから自身が納得いくものを選べば良いとは思いますが、染み付いて変えられないと悩んでいる人も少なからずいるものですからね…愛情故に変えてしまうのが忍びないという人もいてもおかしくはありません。

こういう事は愛情の使い方によって境遇が変わるという一説なのかもしれませんね。

五行程度にまとめると

多くの場合は愛情故に「姫/王子」と呼称するように、そのリスクに目を向ける事もまた愛情ではなかろうかというお話。

呼称は多少なりと抵抗や違和感を感じるものの矯正できる事もあるというお話でした。

 

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プロフィール

◇ローマ字検索で知床ですか?と確認されてしまう白トコによる趣味で作った雑記かつ雑綴ブログです。

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